ケネス・アンガー 略歴

1927年 2月3日、カリフォルニア州サンタモニカにて、Wilbur Anglemyer とLillian Coler の第三児として生まれる。父Wilbur はダグラス・エアクラフトの航空技師。

1935年 10月30日、ワーナー映画『真夏の夜の夢 (A Midsummer Night's Dream)』公開。アンガーはこの映画に出演したと主張しているが、プロダクションノートにはクレジットされていない。彼が演じたとされる役はShelia Brown という子役によるもの。

1937年 16ミリカメラを使用して映画を撮影しはじめる。

1944年 一家ともどもハリウッドに引っ越し、祖母Bertha Coler と同居しはじめる。撮影所の衣装係だった祖母の影響で、ハリウッドスターの墓参りを趣味とするようになる。また、この時期から自らの同性愛傾向を自覚しはじめる。
Creative Film Associates (CFA)のCurtis Harrington の紹介で、アレイスター・クロウリーの著書を読み始める。クロウリーのテレマ思想は、生涯にわたってアンガーの作品に影響を与えることとなった。

40年代中盤 ゲイであることを理由におとり捜査に引っかかり、逮捕される。祖母の経済支援のもと一人暮らしをするようになる。Anglemyer という姓をAnger と改める。

1947年 伯父の葬式のために外出した週末を利用し、『花火 (Fireworks)』を撮影する。ホモセクシュアリティや被強姦願望の要素を含んだこの映画が猥褻であるとして一度逮捕されるが、カリフォルニア州最高裁で無罪判決となり釈放される。
『花火』のコピーテープをきっかけに、性化学者アルフレッド・キンゼイと親交を持ちはじめる。

1949年 『プース・モーメント (Puce Moment)』を制作。
『芽生える愛情 (The Love That Whirls)』の制作に取りかかるが、コダック現像所のサボタージュに遭う、裸のアズデク人のいけにえが映されたフィルムが問題となり没収されるなどして、頓挫。

1950年 パリの映画祭で上映された『花火』を高く評価したジャン・コクトーの誘いによってパリに移住する。シネマテーク・フランセーズのアンリ・ラングロワのもとで働く傍ら、『ラビッツ・ムーン (Rabbit's Moon)』の撮影を開始。20分ほどのフッテージを撮影するが、サウンドステージの使用権を失うなどして未完成のまま放置。

1951年 ロートレアモンの詩を題材とした『マルドロール (Les Chants de Maldoror)』に取りかかるが、未完成に終わった。

1953年 コクトーのバレエを原作とした『若者と死 (Le Jeune Homme et la Mort)』はテクニカラーでの公開を予定していたが、黒白版で妥協することとなった。しかし版権の問題で、未公開のままお蔵入り。
ローマへの旅行中、16世紀のオカルティストIppolito II d'Este を題材とした映画の制作を着想。ティヴォリのエステ家別荘にて撮影を開始、『人口の水 (Eaux d'Artifice)』として発表。ほどなくして母Lillian が死去、米国へ戻る。

1954年 『快楽殿の創造 (The Inauguration Of The Pleasure Dome)』を発表。

1955年 ドキュメンタリーフィルムの撮影のため、アルフレッド・キンゼイとともにシシリー島のチェファルへ取材、20年代にアレイスター・クロウリーが滞在したとされる建物を訪れる。クロウリーが描いたとされるエロティックなフレスコ画を撮影し『テレマのアビー (Thelema Abbey)』を制作。英国のTVドキュメンタリー番組『オムニバス』のために制作されたこの映像は、現在では失われている。

1956年 アルフレッド・キンゼイ死去。パリに戻り、資金繰りの必要に迫られ『ハリウッド・バビロン (Hollywood Babylon)』の執筆を開始。

1959年 Jean-Jacques Pauvert の協力によって、『ハリウッド・バビロン (Hollywood Babylone)』がフランスで地下出版。
性的サディズムに関するフランスの古典に基づいた作品『Oの歴史 (L'Histoire d'O)』を制作、しかし完成間近にしてフィルムを隠蔽(公開したらフランス政府に差し押さえられる、との懸念から)。

1962年 アメリカに帰還。ブルックリンで撮影した映像をサンフランシスコで編集する。

1963年 『スコピオ・ライジング (Scorpio Rising)』を発表。そののちフォード財団による一万ドルの資金援助のもと、『K.K.K. Kustom Kar Kommandos』を発表。しかし援助された資金は、主に生活費と旧作品の再編集のために費やされた。ロンドンに渡り、魔術的シンボルについての小品『アンガー・水がめ座・神秘』を制作。

1966年 『快楽殿の創造』の“The Sacred Mushroom Edition”を発表。LSDを服用するヒッピーたちの間で受け入れられた。同時期、サンフランシスコのロシア大使館に移住。『ルシファー・ライジング (Lucifer Rising)』の企画を開始。ルシファーの最初の候補としてゴドーという五歳の少年を見出すが、転落死。

1967年 十九歳の美少年、ボビー・ボーソレイユを二番目のルシファー役として起用。しかしボーソレイユによって撮影フィルムを盗まれ、モジャブ砂漠の砂の下に埋められてしまう。ボーソレイユはアンガーのもとを離れ、チャールズ・マンソンに心酔するようになる。
10月26日、自らの手で『ヴォイス』紙の全ページ広告に「追悼ケネス・アンガー 映画作家 1947~1967」の死亡告示を出す。
ロンドンへと居を移し、石油王ジャン・ゲティと知遇を得、パトロンとする。同時期にミック・ジャガーと知り合い、親交を深める。アンガーはミックを三人目のルシファーとしてオファーする。ミックはアンガーから影響を受けたアルバム『サタニックマジェスティーズ (Their Satanic Majesties Request)』をリリースする。

1968年 ローリング・ストーンズが『悪魔を憐れむ歌 (Sympathy For The Devil)』が収録されたアルバム『ベガーズ・バンケット (Beggars Banquet)』を発表。

1969年 『ルシファー・ライジング』のために撮影していた映像を流用し、『我が悪魔の兄弟の呪文 (Invocation Of My Demon Brother)』を発表。ムーグシンセサイザーによる音楽を担当したのはミック・ジャガー。劇中にはアントン・ラヴェイ、ボビー・ボーソレイユなどが出演。この作品で第十回フィルム・カルチャー賞を受賞。
7月25日、ボビー・ボーソレイユが音楽教師・ドラッグ売人のゲイリー・ヒンマンを資金面のトラブルで殺害。8月4日、ヒンマンの車を運転していたボーソレイユが逮捕される。10月12日、銃器不法所持などの容疑でチャールズ・マンソンも逮捕。
12月6日、オルタモント事件。悪魔的なイメージ戦略からの撤退を決めたミック・ジャガーはルシファー役を辞退。代役としてミックの弟クリスを起用するが、エジプトロケ中に無断で帰国してしまう。

1970年 撮影した8分のフィルムをもとに、British National Film Corporation から一万五千ポンドの資金援助を取りつける。アレイスター・クロウリーの遺物のオークション会場にてジミー・ペイジと知り合い、『ルシファー・ライジング』のサウンドトラックの作曲を依頼する。しかしペイジは三年間で二六分の音楽しか作曲できず、追加依頼を断ったため、サウンドトラックは没となった。

1971年 3月29日、チャールズ・マンソンファミリーに終身刑が宣告される。8月21日、ボビー・ボーソレイユはサンクエンティン刑務所での暴動で失明。

1972年 ニューヨークのアパートに戻り、50年代に撮影していた『ラビッツ・ムーン』のフッテージを編集し、発表する。

1979年 『ラビッツ・ムーン』の再編集バージョンを発表。

1980年 『ルシファー・ライジング』発表。十年あまりに渡って撮影された映像が使用されている。ボビー・ボーソレイユ、マリアンヌ・フェイスフル、クリス・ジャガーなどが出演、サウンドトラックはボビー・ボーソレイユが獄中で録音したものが使用されている。『ルシファー・ライジング』に続く三部作を企画、『Part 1: Sign Language』を制作するが、それ以降のシリーズは未完成のまま頓挫した。

1984年 資金繰りの必要に迫られ、『ハリウッド・バビロン2 (Hollywood Babylon II)』を出版。

1986年 今までの作品の映像権を売却。『花火』から『ルシファー・ライジング』にいたる映像集成『マジック・ランタン・サイクル』がリリースされる。以降、長年にわたって映画制作からは身を引く。

2000年 ショートフィルム『Don't Smoke That Cigarette』を発表。

2002年 アレイスター・クロウリーの遺物をフィーチャーしたフィルム『The Man We Want To Hang』を発表。

2004年 ポール・ゲティ三世のプロデュースによる『マウス・ヘブン (Mouth Heaven)』を発表。

2007年 友人だったエリオット・スミスを追悼する作品『Elliott's Suicide』を発表。『I'll Be Watching You』『My Surfing Lucifer』などのショートフィルムを発表。

現在 2008年にショートフィルム『Foreplay』『Ich Will!』『Uniform Attraction』、2010年に『Missoni』を発表。
Brian Butlerとともに「照明と音楽のライブパフォーマンスによる魔法の祭典」をコンセプトとするプロジェクトTechnicolor Skull を開始。アンガーはテルミンを演奏している。
『Hollywood Babylon III』の執筆を終えているが、出版はされていない。トム・クルーズとサイエントロジー関連の権利問題が要因とされている。

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まだ穴が多いので、随時更新していきます

参考文献:
月刊イメージフォーラム 1986年11月号
メカスの映画日記 (ジョナス・メカス)
アンダーグラウンド映画 (シェルドン・レナン)
ハリウッド・バビロンI・II (ケネス・アンガー)
マジック・ランタン・サイクル (ケネス・アンガー)
wikipedia

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