『アイカツ!』における食育表現



TVアニメ『アイカツ! -アイドルカツドウ!-』の物語において、異性との恋愛や、それに起因する対立や確執など、いわゆる大文字での「シリアス」な要素は一切描かれない。思春期の少女たちの成長を描くにおいて、恋愛やライバルとのドロドロの確執など、シリアスな要素は大きな求心力として働きそうなものだが、それらは一切捨象されてしまっている。なぜか? それは『アイカツ!』が一貫して「女児向けアニメ」のスタンスで描かれているからなのだった。
では「シリアス」に代わって『アイカツ!』を構成している要素は何なのか? それこそが「食育表現」であると思い至り、この記事を立ち上げた次第である。


そもそもアニメ作品における食育表現とは何か?
ドラマ・映画などの実写ならまだしも、グラフィックによる表現媒体であるアニメにおいて食事シーンを描くというのは、登場人物の肉体性を強調することに他ならない。画面に映っているのは紙に描かれた絵ではなく、実際に口から栄養を摂取し、それを排泄するという機構が備わっている生身の人間であることを、「食」の描写は鑑賞者に実感させる。フィクションの登場人物はモノを食べることで、文字通りに「腹の底を見せる」のである。
つまり「食」を描くことによって、フィクションの登場人物は「生身の人間」としての属性を付与されるのであり、逆を取れば「食」の場面が描かれない登場人物は何か超俗的な、天上人としての聖性が付与されると言ってよい。
少女が一人前のアイドルとして成長する過程を描く『アイカツ!』においても、この「食」を軸とする描き分けが徹底されている。

・星宮いちごと神崎美月の食育表現

『アイカツ!』の主人公・星宮いちごは、市井のお弁当屋の娘である。母親が経営する店で普段から手伝いをしており、父親は海外で食品を通じて発展途上国の知名度の向上や経済発展を支援する事業に従事している。両親共に「食」と密接に繋がる職業を選択しており、食育表現とのつながりが最も深い人物であると言ってよい。
『アイカツ!』第一話では「おしゃもじをマイクに持ち替える」という印象的なセリフがある。「飯取る」ための道具であるしゃもじと「(アイドルとしての自分の将来を)召し取る」ためのマイクを対比させた実に巧妙な言葉遊びであり、まだ何物でもないお弁当屋の娘が、多くのファンからの憧憬を一身に集めるアイドルとして生まれ変わるために引かれるスタートラインとしても、このセリフは機能している。

反して、星宮いちごの理解者であり、同時にライバルでもあるトップアイドル・神崎美月には、「食」を通した表現は一切描かれない。
第一期の1〜50話の間で、彼女が食事を摂っている場面は全く描かれない。12話『WE WISH YOU A MERRY CHRISTMAS!』では、クリスマスパーティで星宮ら下級生と乾杯する描写はあるが、肝心の食事シーンは描かれない。
41話『夏色ミラクル☆』では、美月を含むSTAR☆ANISのメンバーが同じ旅館で寝食する場面があるが、その夕食のシーンでは美月は打ち合わせのため欠席している。夕食後にはメンバーとともに布団を並べて寝るのにも関わらず、「食」の場面だけが徹底して欠落している。
42話『船上のフィナーレ☆』のファンとの会食の場面でも、彼女がモノを摂食する描写はない。
45話『ハピサマ☆バケーション』においてSTAR☆ANISのメンバーが焼きそばを焼く場面があるが、結局それを口にすることはない。このように1クールを通して、徹底的に食事描写がカットされてしまっているのが神崎美月という人物なのである。
42話で星宮いちごが「美月さんのところだけ別世界みたい」とつぶやく描写が、上述の演出の意図を裏付けている。後輩と一緒にお菓子を食べたり、ファンと一緒に食事をともにしたりするメンバーとは裏腹に、「食」描写の欠落をもって神崎美月は文字通り神さびた存在感を保ち続けている。

星宮いちご・神崎美月という二人の主要人物の対比は、食育表現のみならず、性格、纏う衣装のタイプ、太陽と月というモチーフなど様々な表現で描かれている。二人は最終話で学園と袂を分かつことを選択するが、星宮いちごは二期の最初のエピソードで復学し、成長したステージを見せる。しかし神崎美月は学生として復帰することはなく、新興のアイドル学校『ドリームアカデミー』の運営に深く関わっていることを思わせる描写がなされている。第二期の物語においても、食育表現を通して描かれた二人の対比が物語全体を貫く軸として機能していることを示している。

ここで、多彩な個性を持つ登場人物たちに食育表現がどのように作用しているかを見ていきたい。
『アイカツ!』における「食」のモチーフは、主に「時間表現」、「コミュニケーション手段」、「欲望と自制心の象徴」の三種に大別できるように思う。


・紫吹蘭の食育表現

主にモデルとして活動するアイドル・紫吹蘭は星宮いちごより芸暦が長く、序盤においては先輩格として編入組である星宮や霧矢あおいを指導するという立場にある。子役出身である彼女は業界のノウハウを知り尽くしており、横道にそれがちな星宮いちごの奮闘をそれとなく諭す、大人びた少女として描かれている。同時に、「おばあちゃん」と自分とのエピソードを寂しげにこぼす幼さも持ち合わせた、いわゆるおばあちゃん子であることも特徴である。
ここで注目したいのは、紫吹蘭が「魚の小骨を取るのが苦手」な娘だという描写である。41話での食堂の場面のみならず、公式のプロフィールにも焼き魚を食べるのが苦手だと明記されている。実際に作中で彼女が和食を口にすることは少なく、食事ではサンドイッチやカフェオレのような軽食が多い。おやつもわかめやおせんべいといった地味なもの(おばあちゃんの影響と見られる)しか口にしない。
ここで鑑賞者は、「紫吹蘭は、子ども時代からの芸能活動のせいで家族と食卓を囲むことが少なかった娘なのではないか」ということを思い至る。彼女の育ちの良さとは不釣り合いな焼き魚の描写、そして家族との繋がりにおいて独特の幼さを見せる姿がそれを裏付けている。
同時に、常に孤独なアイドルだった彼女が星宮や霧矢という親友を得、食堂で食事を共にしたり、オフタイムにタルトを食べたり(24話)、ついにはアイドルグループのメンバーとともに食卓を囲んだりする(41話)ようになる過程が、紫吹蘭の成長を鮮やかに描いている。41話で魚の骨を摂るのが苦手だということを茶化される場面に、紫吹蘭自身の成長と時間の推移が象徴されていると言ってよい。

紫吹蘭の「コミュニケーション手段」としての食育表現は、36話『トライスターテイクオフ☆』の終盤のシーンが出色である。神崎美月の3人組ユニットTristarの一人として選抜された蘭は、神崎と一ノ瀬かえでという卓抜した才能との狭間で苦しみながらも、ついにゲリラライブのステージを終える。終演後、星宮いちごと霧矢あおいからの差し入れである海苔を食べながら、静かに遠くの親友を思う場面は、無言のうちに繋がり合う親友どうしの紐帯として機能している。24話で菜の花畑で膝を突き合わせ、同じタルトを三分割し合ったような密接さこそないものの、現在の紫吹蘭と親友の関係性を「時間表現」と「コミュニケーション手段」という二本の軸でつなげることで見事に描ききっている。

彼女が自分自身に課している「甘いものは食べない」「夜8時以降は何も食べない」という制限は、「自制心の象徴」としての食育表現として見ることができる。13話で露骨に正月太りしてしまう未熟な星宮いちごとは対象的な、長い芸暦に裏付けされたプロフェッショナルがそこには象徴されている。つまりこちらは「時間表現」と「自制心の象徴」の合わせ技としての食育表現である。


・藤堂ユリカの食育表現

600年の時を生きる吸血鬼の末裔という設定で一世を風靡したアイドル・藤堂ユリカは、本当は内気な少女として描かれている。彼女はニンニク入りのラーメンが大好きな女の子であり、その素顔はアイドルとしての彼女の人格とは相容れない。このペルソナの描き分けの落とし込みの見事さが『アイカツ!』の魅力の一つでもあるのだが、そのことはしばしおく。

第20話で、彼女は「吸血鬼・藤堂ユリカはニンニクラーメンが好きな少女だった!」というスキャンダルをすっぱ抜かれ、自信を喪失する。字面だけだとコミカルな流れにも思えるが、このスキャンダルはもちろん様々な隠喩として解釈が可能である。AKB48峰岸みなみの一件のような、現実と地続きのアイドル恋愛スキャンダルとして置き換えて見るのもいいし、役柄と私生活が乖離した俳優の私生活スキャンダルとしての含みも勿論ある。
このような生々しい要素は、食育表現でもって置き換えられるのが『アイカツ!』の常である。第二期での新曲『新・チョコレート事件』でも、揺れ動く少女の恋心がチョコレートの中毒性にたとえて描かれている。女児向けアニメとして作られている手前露骨な表現ができないぶん、隠喩として機能するのが食育表現である。藤堂ユリカの場合、ニンニクラーメンがアイドルと素顔の自分の境界を危うくする『欲望と自制心の象徴』として機能している。

人間の生き血とトマトジュース以外は何も口にせず、永遠の時を生きる吸血鬼としてのペルソナと、人並みに好きなものを食べる平凡な人間としての自分、二つの相反する人格を持つ彼女は、上述のスキャンダルによって実存的危機に立たされる。しかし自分のアイドルとしての人格を愛してくれるファンのために新しいドレスを纏い、ステージに立つことで自分自身の実存を取り戻すのである。
『アイカツ!』を構成する魅力的な要素の一つとして、「自分が演じる役柄を選び取る」という社会参画を描くことへの徹底ぶりが挙げられる。たとえフィクションであってもそれを演じきることによって得られる感動は本当のものだ、という主張は普遍的なものであり、まだアイデンティティの未成熟な女児のために発信されてしかるべきメッセージである。それが集約されているのが19,20話の藤堂ユリカのエピソードであり、その中核には徹底された食育表現があるのである。スキャンダルを乗り越えて成長した彼女は、様々なオーディションやステージでプロフェッショナルとして徹底した活躍を見せる。しかし根底にはニンニクラーメン大好きな少女としての側面があり、その「食」の嗜好が彼女のアイドル活動全体へのモチベーションとして描かれているのである(49話)。


この記事で挙げた『アイカツ!』の食育表現はほんの一端であり、見返せば見返すほどに「食」を軸とした細かい演出が確認でき、その徹底ぶりと首尾一貫ぶりに驚嘆させられる。美少女が多数登場するアニメ、ということであえて『大きなお友達』向けの恋愛要素やシリアス要素(鬱展開)を入れることは簡単だったはずだが、『アイカツ!』はあくまで女児のために作られたアニメであるという主旨を見失わない。あらゆるメッセージは「食」を通して丁寧に描かれ、決して自己満足的で露骨な描写に終始したりはしない。その制作姿勢は長じた鑑賞者をこそ感動させてやまないはずだ。『アイカツ!』というアニメを構成する脚本・演出・音楽などすべてに徹底されたプロフェッショナルそのものが、既にひとつのアイドルであると言っても過言ではないのである。
スポンサーサイト

0 Comments

Post a comment