「そんなんじゃねーし」の宮殿(『アイカツスターズ!』の恋バナの恋バナ)

>>姉妹稿



 こんにちは。恋バナは好きですか? 恋バナは素晴らしいものです。他者と他者との関係性を讃えるために言葉を使うことで、われわれは惨めな自分語りや告白や愚痴から軽々と身を隔てることができます。
本稿は『アイカツスターズ!』という無双の作品における、人間どうしの妙なる関係性を讃えるための歌です(「分析」や「考察」などでは断じてありません)。姉妹稿では可能な限り情緒を抑えましたが、本稿ではエモを惜しまずに書かれているので、その点ご留意ください。


◎「そんなんじゃねーし」の宮殿(かなた→あこ→すばる→ゆめ)

 姉妹稿では「ランデブー」という語を使いましたが、これは想いあう二者の視点が通い合っている状態(カップリング表記で言えば「×」)を指します。『アイカツスターズ!』は人物同士の関係性の綾がすごいことになっているので「×」の関係性をいくらでも見いだすこともできますが、それとは別の「フロウ(→)」、誰かを眼差している誰かへの眼差しの連鎖による関係性をも見出すことが可能です。ここではとくに「かなた→あこ→すばる→ゆめ」のフロウを追ってみましょう。

かなた→あこ
 AS!:ep32はもう絵のうえでの関係性の見せ方がえらいことになっているのですが、このエピソードの最後の会話に注目しましょう。“すばるが好きなくせに、なに隠れてんだ?” かなたくんのセリフにカチンときたあこちゃんが「シャーッ」と飛びかかるのですが、この「シャーッ」から “あなた、なにしにきたんですの?” のセリフの間がおよそ1秒。飛びかかった後即座に着地して対話を続けているのです。早乙女あこというキャラの特性上、主に威嚇や攻撃として使われるこの「シャーッ」が、ここでは挨拶程度の意味合いになっている。あらっ、なにかしら。まるで「突っかかってきたから突っつきかえす」ような軽口の叩き合いが、かなた→あこの間では暗黙のものとしてあるかのようです。

あこ→すばる(→ゆめ)
“フェスに出たのってやっぱ、すばるに近づきたいから?”
“それだけじゃありませんわ”
 の対話の後にあこが眼差すのは、談笑している結城すばると虹野ゆめの方向。あこちゃんはすばるくん大好きっ子なのでこれはわかるのですが、
“おれの分析によると、あの子を元気づけるためにユニットを組んだ。当たり?”
 の新たなくすぐりが入ったとたん、あこは “そんなこと、あるわけないでしょう!?” の反応とともに二度目の「シャーッ」に出る。しかしこの二度目は一度目と違って着地すらままならず転倒してしまう。つまりガチで動揺しているのです。「すばるのことが好きであることをくすぐられた時」は平常心なのに、「自分の行動が虹野のためであることを言い当てられた時」に初めて動揺した早乙女あこ。あらーっ。なんなんでしょう。ちょっと、なにかありますねえ。

すばる→ゆめ
 このエピソードはすばるとゆめの対話で終わります。「(みんなから)もらった元気はこれから返せばいい」という大意のすばるの励ましは、最終的にAS!:ep43で見事に結果することになります。AS!:ep43での虹野ゆめの「返済」の描写がいかにやばいかを書きたいのですが長くなるので割愛します。重要なのは、この一連のフロウの終点に位置する虹野ゆめの愛され感がハンパじゃないことです。AS!:ep37のラストを思い出してみましょう。ゆめとすばるの初対面シーン(すばるが物理的にゆめの尻に敷かれる)の再現が入りますが、そこで赤面して「ゆでたこ」と笑われるのはすばるのほうである。“……なんだ、これ?” “いや、そんなはずはねえ” と懊悩する姿はもう完全に優位関係が逆転していますね。今までからかって心配して励ます側だったすばるが、自分が一方的に送っていた視線に見つめ返されたかのようである。虹野ゆめのほうはいつものように(「力」に悩まされていた頃よりずっと朗らかに)笑ってるだけなのに……という、虹野ゆめのスーパー攻め様感、もっと言えばナチュラルボーン誘い攻め強者感が遺憾なく発揮されるのがこのフロウのヤバさです。言ってしまえば(AS!:ep36までの、「力」に悩まされていた)虹野ゆめは周囲からの気遣いを集める「受け」の立場だったわけですが、それを打開した次のエピソードからもうすばるくんへの誘い攻めが始まっている(おそらく無意識に)。この人たらし。劉邦並みです。「仕方ねーなーこいつは」と集まってきた人々を片っぱしからたらしこんで、いつの間にか「この人にはおれがいなきゃ駄目!」にしてしまう資質の持ち主、ナチュラルボーン誘い攻め様こと虹野ゆめ(ゆめが劉邦ならすばるは王陵とかでしょうか。言うまでもなく項羽はローラです。ひとつだけ違うのはローラは項羽と比べて黒星が多いことですが)。というか、誘い攻め(=人たらし将器)こそ主人公に備わっているべき最良の資質と言えないでしょうか。前述した「かなた→あこ→すばる→ゆめ」の一連のフロウは、「力」から解放されて後の虹野ゆめの主人公としての開花ぶりを印象づけるものでもあります。それがAS!:ep36の次エピソードからもう始まっているという……
 
 さて、冒頭に立ち返りましょう。「かなた→あこ→すばる→ゆめ」のフロウは「そんなんじゃねーし」で成り立っていると言うことができます。あこちゃんはすばるくんのことが好きなだけなのか? “そんなんじゃありませんわ” 。すばるくんのゆめちゃんに対する感情は恋のようなものなのか? “いや、そんなはずはねえ” 。誰かが誰かに投げかける眼差しが連鎖することで、ただ単に「利他的」とは割り切れない、玉虫色のエモが表出する。「×」のランデブーのみに固定されない多様な関係性の綾が「そんなんじゃねーし」の宮殿で通い合っています。もちろんあこちゃんはすばるくんのことが好きでしょう。すばるくんも年相応の恋愛感情があってゆめちゃんに気を配ったのかもしれないでしょう。しかしそれらのエモはすべて確定されることを拒んでいるかのようです。「これは恋愛関係だ」「いや、ただ利他的な感情のあらわれなんだ」とひとつに固定しようと試みるのは簡単です。しかし『スターズ!』劇場版が友情でも恋愛でもない「別の交わり」を描いていたことからもわかるように(あの劇場版も真昼→ローラ→ゆめのフロウで成り立っていた)、固定しようとするたびに「そんなんじゃねーし」と遁れていく玉虫色のエモで編まれる関係性があったからこそ『スターズ!』は素晴らしい。その確定不能性にあずかってあれこれ想像を膨らませることで、我々はいくらでも悶絶しながら床を転げ回ることができるわけです。これは姉妹稿で書いた「特権的視点(=視聴者)の優位の排除」とも関わることです。『スターズ!』の人々の関係性の綾を単色に確定することが不可能なのは、「そんなんじゃねーし」が無限に複雑に組み合わせって巨大なエモの宮殿を打ち立てているから、と言うことができるでしょう。




◎2人のドリーマー(白銀リリィ・虹野ゆめ)

 AS!:ep26ではAS!:ep1と同様に保健室でのシーンがあります。相変わらず壁に貼られた「インフルエンザ対策」のポスターが mortal な世界であることを強調していますが、このシーンはAS!:ep35の暗がり通路シーンと双璧の名場面だと思います。みていきましょう。

 虹野ゆめと白銀リリィ。同じ歌組所属ですが、一年生と二年(幹部)生、キュート属性とクール属性ということでとくに共通点もなさそうな二人です。が、この二人を繋ぐ対話は静かに、そして唐突に始まります。晩夏になってもまだ体調が万全でない白銀、レッスン中にうっかり怪我をしてしまった虹野、のブレイカブルlikeサミュエルLジャクソンなふたりだけが保健室にいる。白銀は虹野に包帯を巻いてあげ、虹野は白銀に対して “(不調を抱えたままの活動は)つらくないんですか” と問いかける。それに対する白銀の返答を全文引用しましょう。
 

“そんな気持ちになりそうな時は、想像し、自分に言い聞かせるのです……ここは極寒の地。長い冬に閉ざされ、どこにも行けず、何もできない。いくら叫んでも、声は吹雪にかき消されてしまう。でも、今は耐え忍ぶ時。雪解けは必ずやってくる。明けない夜がないように、いつか必ず冬は終わり、春がくる。その時まで、私は歌い続ける。いかなる困難がこの身に降りかかろうとも、誰も、私の夢を奪うことはできないのだから”



 あまりにも白銀リリィらしいとしか言いようのない、雄弁な言葉です。病苦を凌ぐためにずっと自分自身に言い聞かせてきたのであろう、安易な共感を示すのが憚られるような情熱と執念が込められた言葉です。
 さて熱に浮かされたように“想像”の力を並べ立てたあと、リリィは不安げに虹野のほうを向いて言います。

“……すこし、分かりづらいでしょうか”
 この躊躇の言葉が漏れるのももっともなことです。病弱で学校を休みがちだった白銀にとって、自分の “想像” の力に共感を示してくれるのは(幼なじみである二階堂ゆず以外には)誰もいなかったのでしょうから。しかし虹野は、

“いいえ、すごくわかります”
 と闊達に微笑んで返すのです。 “すごくわかる” ? なぜでしょうか。虹野と白銀はまったく違うタイプの人間なのでは。話を合わせて安易な共感を売っているだけなのでは。違います。ここから虹野の “想像” の返歌が始まります。

“わたしもよく想像するんです。ひめ先輩みたいなS4になりたいって。CDは即日完売、街にはわたしの歌声が響き渡って、泣いてる子も怒ってる人も、みんな笑っちゃう。そして世界は平和になるのだ、なーんて。でも、けっこう本気でそうなったらいいなって思ってます”


 ここで一つの線が結ばれます。学校を休みがちな文学者と、夢見がちな爆弾持ちの少女は、どちらも “想像” の力で現実に抗っていた二人だったのだと。もちろん白銀と虹野の “想像” の水準はまったく違います。前者は精神的肉体的苦艱をしのぐために “想像” の力を使う人で、後者は自分に都合のいい “想像” を本気で信じている人です。なので白銀も全幅に共感の情を示すことはしません(“楽しい想像ですね。でも、想像するだけでは何も変わりません”)。が、まったく無関係にみえた二人が「現実に抗うために “想像” の力を使っていた」ことを打ち明けるシーンで一本の線で結ばれる。異質な存在どうしが初めて共感の入り口に立つ瞬間のときめき、これはもう尋常なものではありません(“すごくわかります” のセリフを受けた瞬間の上田麗奈さんの “えっ” の呼吸やタメの非凡さはどれほど強調しても足りません)。

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 現実に抗うために “想像” の力を使う人。それはもちろんドン・キホーテの姿そのものです。「なんで『スターズ!』について書くたびにドン・キホーテの話になるのかなこの人は」と思われてるかもしれませんが、だって実際にそうなんだからしょうがない。AS!:ep26に続くAS!:ep27では、白銀リリィの口から直接セルバンテスの名が口にされさえするのですから、AS!:ep26-27の流れで「ああ、本気でやるつもりなんだなこの作品は……」と畏怖の念を覚えた方も多いと思います。
 一冊の本との出会いをきっかけに自分自身を書き換えていった白銀、爆弾を抱えながらも想像の力を投げ捨てずに生き延びた虹野、そんな騎士たちが残していった歌たちが “現実” と “想像” の区別自体を蒸発させてゆく、このリアリティのダンス。とうぜんそこには呪いや狂気も含まれるわけですが、これはドン・キホーテたちの闘いなのだから何の不思議があるでしょう。2016年度のS4選ではどちらのドリーマーも「夢を見るんじゃなくて夢になった人(=白鳥ひめ)」の圧倒的強さの前に鎧袖一触にされましたが、かといって彼女たちが “想像” の力を使うことをやめるはずがありません。 “きれいな物だけ見るんじゃなくて全部抱きしめて” きた人々の闘いは、二年目『星のツバサ』シリーズにおいてますます加速してゆくことでしょう。




◎諸星ヒカルの心労を推し量る

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 姉妹稿では “ヒカルは実姉の真相を(白鳥ひめにさえ黙っていたように)誰にも明らかにすることなく暮らすこともできた” と書きました。よって、ヒカルには明るみに出されていない過去の経歴(姉妹稿で “盆暗闇” と呼び名した箇所)が残されているわけです。
 本項は、その盆暗闇を照らす、のではなく、「もしかしたらこうだったのではないか?」とあれこれ想像を巡らすだけの試行です。もちろんそんなことをしたところで真実にはたどり着けないので、いきおいシャドーボクシング的な、誰を相手にしているのかも不明なパンチを打ち続けるだけの記録となります。しかし私はほとんど諸星ヒカルに恋をしているので、そんな虚しい行為をすら楽しむことができるのです。

・そもそもなぜ「雪乃」だったのか
 四ツ星の初期S4であった雪乃ホタル、つまりヒカルの実姉ですが、なぜわざわざ姓を変えなくてはならなかったのでしょうか。『スターズ!』の世界には芸名で活動していると思しい子(ハルカ☆ルカ)もいるのでべつに芸名自体がおかしいわけではないのですが、いくつか説を立てて考えてみようと思います。

1:芸能人として活動するにはもっと華美な姓が好ましかったから
 これはないですね。「諸星」だってじゅうぶん華美な字面ですし、なら諸星和己さん(光GENJI・本名)はどうなんだという話にもなります。「雪乃」のほうが多少儚げなニュアンスは出るのかもしれませんが、いずれにしても文字上の華美さで変えたというのは無理がありそうです。

2:当時、ホタル・ヒカルは親権上のなんらかの事情があって姓が別だった
 両親が離婚調停中だったとか、そもそもどちらかがどちらかの親の連れ子だったとか、そういう。ありそうな話ではあります。そういう背景があったのなら、ホタルが自身の明らかな不調を押して活動していた事情もわかりますし、アイドルとしての姉を喪ったときのヒカルの絶望もわかろうというものです。現在はヒカルが姉を養っているので「諸星」姓に戻したのだろうとか、整合性も多少はありそうです。

3:アイドル活動について両親の理解が得られず、姓を変えての活動を強いられていた
 これ私の推しです。「推しです」とか言っちゃいましたが、実際一番ありえそうなことではないでしょうか。劇中でホタル・ヒカルの両親の姿は一切描かれてはいませんが、幼少期のヒカルの容姿はラオモト・チバに酷似しているので、諸星姉弟の両親もなんらかの非合法な企業のCEOとかだった可能性もあります。なので、

3ー1:幼時から既に決められていた自分の運命(政略結婚とか)に抗うために四ツ星でアイドルとして活動していた
 線も成り立つのじゃないでしょうか。これなら「諸星」姓を隠していたのも筋が通っていますし、ヒカルが現在においてもなお四ツ星学園に関わり続けている理由(姉がせめてものあいだ自由でいることができた空間への思い入れ)も説明できそうです。ただ、両親の意に沿わない学校に進んでおいて学費はどう賄っていたんだという話にはなります(四ツ星ってどう考えても私立ですよね)。

3ー2:むしろ両親が(広告塔的な存在として利用するために)積極的にアイドルにしたがっていたが、それに反抗するために本名とは関係のない姓を名乗った
 逆の線も成り立つんじゃないでしょうか。娘を大人気アイドルに育て上げて自社の広告塔にしようみたいな、いかにもバビロンっぽいやつ。ありそうですね。そこで自分は両親の家業とは何も関係のない一人のアイドルなんだ、と反抗を叩きつけるために「雪乃」を名乗っていたと。いずれにしても「諸星」のバックグラウンドに対する峻拒があると考えられるわけですね。

 と書いていて再確認しましたが、諸星ヒカルが現在(姉の死からおよそ20年後?)においても四ツ星学園に学園長というかたちで関わり続けているのは、やはり「姉がせめてものあいだ自由でいることができた空間」が四ツ星学園だから、ということになるんでしょうね。その姉に決定的なことが起こってしまった、それを起こしてしまった力の正体さえつかめない、だからもう二度と同じことを繰り返さないために目を光らせているが実際は何をどうすればいいのかさえわからない……という「賭け」については姉妹稿で散々書いたので省略します。

 ここで諸星ヒカルの心労を推し量ってみましょう。長くつぼんだ彼岸花が咲き空が代わりに涙流した日から、彼はアイドルの生が mortal であるという事実に苛まれ続けてきた。だからこそ姉の生命が尽きた地=四ツ星の学園長に就任し、同じことを二度と繰り返すまいと生存のための discipline に賭けていたのでしょう。そんな彼が(姉と同じ保菌者である)白鳥ひめに対してどれほど屈曲した想いを抱いていることか(劇場版で “虹野にはもっとやることがある” とひめに訴える、あのすがるような眼差したるや……!)。その1年後にはひめとは別の意味で病者である白銀リリィが入ってくるわけです。Dreaming bird that refused to sing である彼女はしばらくの休学を余儀なくされ、翌年には二人目の保菌者である虹野ゆめまで入ってくる。そして秋季からは白銀リリィも帰還してひめ・リリィ・ゆめ三者が同じ卓に集う(AS!:ep26,27)。 Here we all are born into a struggle to come so far but end up returning to dust な状況で、ヒカルは一体どういう精神状態でこの時期を過ごしていたのでしょうか。AS!:ep26でヒカルは出張という名目で学園を留守にしていますが、心労のあまり体調を崩していたのではないかと心配になります。なので、AS!:ep25で来場客に対してやたらと明るく振る舞っていたヒカルとか、AS!:ep28で着ぐるみを着て座っていたヒカルとかを思い出すともう泣けて泣けてしょうがないわけです。嗚呼、ただ生きていることしかできない父親よ。姉の死を誰かに容易く打ち明けることもできない弟よ。それだけに、ヒカルが同じ保菌者であるひめに姉の死の真相を打ち明け、ついに虹野の生存のための賭けに打って出るAS!:ep35への流れは圧巻です。なんとかして歌組のアイドルたちを破滅から遠ざけ、AS!:ep43で “私はこの学園の生徒たちの成長を願いこそすれ、貶めようなどと思ったことは一度もない” と打ち明けるに至るヒカル、その不器用な振る舞いの愛おしさよ。

 とりあえず1年目では数多くの苦艱を遠ざけることに成功したヒカルですが、ヴィーナスアークAKAボーグが殴り込みをかけてきたとあっては、その心労は頭髪が全て禿げ落ちるレベルかもしれませんlikeピカード。もちろん彼はクルーたちを護るために全力を尽くすでしょう、たとえ自らの命を危険に曝してでも。果たして諸星ヒカルに安息の日々は訪れるのでしょうか。姉の死からアイドルたちの mortality に沿い続けることを請け負ったこの男は、ついに自分の命が尽きるその時まで仕事を続けるつもりなのかもしれません。きっと我々が「ちょっと休みなさいよ」と言っても聞く耳を持たないのでしょう。その頑なさに栄えあれ。誤れる弟よ、君に安息の時が訪れないのならばせめて、終わりのないララバイで眠れ。




◎Family of The Black Sheep(族長エルザ様)

“エルザは、これまでのどのライバルよりも強烈な存在として、ゆめたちの前に立ちはだかります。まさに「倒すべき敵」という感じです”
アニメディア2017年4月号109P 柿原優子インタビュー



「倒すべき敵」。ついにきましたね。『アイカツ(スターズ)!』で明確に「敵」と設定されたのはこれが初ではないのでしょうか。そうでなくては。前シリーズ二年目終盤の展開をどうこう言うつもりはありませんが、ヴィーナスアークの場合は「出会って数話経ったらもう隣のクラスくらいの感覚で仲良くなっていた」パターンには行かないというのがもう明言されているわけです。



 ところで、エルザ フォルテ様のデザインがもう本当に素晴らしすぎます。立ち居振る舞いから既に高貴な人だというのはわかるのですが、長く豊かな髪が二色に分かれているのでターバンか帽子を着用しているようにも見えるのがよすぎる。こういう高貴で強みのある人物を前にして「族長」と呼び慕いたくなる気持ちを抑えるのは難しいでしょう。そういえば今年『ワンダーウーマン』が公開されますが、「族長感」は2017年キャラクターデザインの一つのトレンドとして記憶されることになるのかもしれません。
 それとは別の意味での「族長」ですが、私は『アイカツスターズ!』のユダヤ性を重んじます。神は視えないし、箱舟だし、しかも族長(エルザ)が羊(花園きらら)を率いているし……という、前シリーズがあまりにもキリストの方向に行きすぎた揺り戻しなのか『スターズ!』はユダヤ的なほうに寄っている、というのは重要です。

 ヴィーナスアークは族長エルザが世界中の羊たちを集めた船なのかもしれませんが、羊は羊でもブラックシープのほうなのでは? と考えることもできます。花園きららはニュージーランド出身のモンゴロイドのようですが、そんな彼女がエルザに惹かれてヴィーナスアークに乗る、この自らすすんで故国を捨ててる感(『未来トランジット』がそうであったような「二重の異邦人」)。そこには同じ日本人名の騎咲レイもいれば世界各国のアイドルたちもいて……というような、この移民的・混血的・バベル的な共同体(=ブラックシープ群)がヴィーナスアークだったらいいなあ。だっていろんな人種がごっちゃになったトライブとか最高に決まってるじゃないですか(もちろん平和的に暮らせてるならの話ですが)。単に実力だけ見込まれてかき集められただけの集団ならバビロンですが、世界中で行き場のない「のけもののけもの」たちが参集した船がヴィーナスアークであってほしいし、そんなブラックシープたちが集う旗印がエルザ フォルテ様であってほしい、と、今から夢が膨らむばかりです。

 四ツ星 VS ヴィーナスアーク、あるいはエンタープライズ VS ボーグ、周 VS 殷(エルザ・きらら・レイ三人のバランスが妲己・胡喜媚・王貴人なのもまたツボなところです)、あるいはポエニ戦争でも赤壁でもシビルウォーでもいいのですが、そういう敵対関係が『星のツバサ』シリーズのメインに据えられることは間違いないでしょう。もちろん戦闘手段は歌や劇やダンスや衣装です。藝術というピースフルフォースを使って斬り結ばれるサーガがいったいどういったものになるか、どれほど期待しても足りないというものでしょう。

 よろしければ姉妹稿ともお戯れください。
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