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有栖川おとめとジュディ・ガーランド [アイカツ!とオズの魔法使い]



『虹の彼方に(Over The Rainbow)』が今日まで歌われるゲイ・アンセムとなったのには、いくつか理由がある。
 ひとつは、『オズの魔法使い』内での印象的な使われ方がある。アメリカ映画で最も有名なこの映画に今さら言及するのも恐縮だが、この映画は序盤(カンザスの場面)はモノクロームで描かれている。少女ドロシーはここではないどこかを夢想しながら『Over The Rainbow』を歌い、トルネードに襲われて魔法の国に飛ばされる。そこは序盤とは違って色彩豊かな世界が展開されていて、「トト、ここはもうカンザスじゃないみたいよ。虹の向こう側に来たんだわ」と夢見ていた世界に到達した驚きが綴られる。

「人種・文化・性の多様性」「アンチ差別主義」の象徴としてレインボーカラーが使われるようになったのには、『オズの魔法使い』の貢献が限りなく大きい。「虹の向こう側」という言葉は、ピューリタニズム国家で自分のセクシャリティを抑圧されて生きていたマイノリティたちの希望となった。異性愛しか許されないモノクロの世界ではなく、もっと多様なありかたが許される虹色の世界を目指そう。その気運は1969年のストーンウォール暴動を起こし、70年代にはゲイをカミングアウトした初の市会議員:ハーヴェイ・ミルクを生み、以降のゲイ・プライド運動へと結実することになる。

 もうひとつには、楽曲を歌ったジュディ・ガーランドの存在の大きさがある。彼女自身も性的におおらか……というか逸脱した人で、異性でも同性でも関係なく、旺盛に性的関係を持った。さらにMGMから推奨されて覚醒剤を大量に服用し、典型的なゲイ好きのする「破滅的な大女優(ケネス・アンガーのハリウッド・バビロンで取り上げられるような)」の像を生み出した。

 べつにジュディ・ガーランドが元祖ゲイ・アイコンというわけではない。先達としてマレーネ・ディートリッヒの存在を見逃すことはできないが、彼女が白黒映画時代の大女優だったのに対し、ジュディ・ガーランドの代表作『オズの魔法使い』はカラーの映画だったことが重要である。「虹の向こう側に来たんだわ」のシーンに象徴されているように、ジュディは色鮮やかな映像世界でもって文字通りに虹色の・多様な世界の住人としてのイメージを打ち出した。

 結果としてジュディは1969年に薬物のオーバードーズで死亡してしまうわけだが、彼女はリアルタイムでゲイ・カルチャーに多大な影響を及ぼした。ストーンウォール暴動は、ジュディの死の直後に漂っていたコミュニティの閉塞感が引き金になったという伝説がある。彼女が世を去っても、『Over The Rainbow』は多様なありかたを夢見るセクシャルマイノリティのアンセムとして歌い継がれている。


 さて、ここからテレビアニメ『アイカツ!』の話につなげていく。
『アイカツ!』の登場人物:有栖川おとめは、非常にジュディ・ガーランド的なキャラクターだ。細かいことにこだわらず、常に躁状態で(もちろんジュディとは違って薬物を服用しているわけではない)、極めつけには『HAPPY RAINBOW』というブランドの衣装を愛用している。

『HAPPY RAINBOW』の衣装デザイナーである虹ヶ原マコトが典型的なオネエとして描かれているのも、先述のゲイ・カルチャーへの理解があるためだ(もちろん、所謂オネエなありかたがすべての同性愛者にあてはまるものではない。が、日本のゲイイメージとして広く認知されている像であることも確かだ)。おとめとマコトは強い信頼関係で結ばれており、83話『おとめRAINBOW!』では相互に影響を与えあう存在として描かれている。

 さらに、83話『おとめRAINBOW!』では劇中で『オズの魔法使い』が重要なモチーフとして使われている。幼稚園時代のおとめは、ドロシー役を演じることを恐れる友だちを勇気づけるために、自らも高所恐怖症を告白することで共に努力していった存在として描かれている。『オズの魔法使い』に『虹』にオネエなデザイナー。有栖川おとめに託されたジュディ・ガーランド性は確かなものだ。

 しかし、おとめにオーバーラップされたゲイ・アイコンのイメージはジュディだけではない。83話では、おとめによる楽曲『CHU-CHU RAINBOW』のパフォーマンスがあるが、このステージ(マコトがおとめの影響を受けてつくったもの)には巨大な「MILK」の文字がある。もちろんおとめの大好きな甘いお菓子の原材料だが、それなら「SUGAR」や「CHOCO」でもよかったはずだ。しかしここでは「MILK」でなければならなかった。

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 この文字からは、ハーヴェイ・ミルクの存在を連想することができる。ゲイをカミングアウトした初の市会議員であるミルクは、すべての同性愛者にカミングアウトしてほしいとする「Coming out of closet」の運動を起こした。同性愛者の権利意識を高め、同じセクシャリティを持った人々を勇気づけるには、家族や友人という身近な存在にも同性愛者が存在するという気運を高めなくてはならなかった。

 今では一般的な言葉となった「カミングアウト(Coming out of closet)」だが、源流にはハーヴェイ・ミルクの存在がある。クローゼットの中から出て、堅苦しい世界のありかたから脱却しよう。自分の中にあるものを打ち明けよう。そのメッセージ性は83話のお話にも合致している。幼少期のおとめも、友人を勇気づけるために自らの高所恐怖症をカミングアウトしたのではなかったか。


 有栖川おとめがクローゼットからカミングアウトさせたのは、幼少期の友人だけに留まらない。おとめの後輩:北大路さくらも、おとめの存在によってクローゼットの外に出ることができた。古式ゆかしい芸能一家に生まれた北大路さくらは、ヨーロッパ的な妖精の絵本を読んで夢想する内気な少女だった。そしてトップアイドル:神崎美月に憧れを見出したさくらは、兄の反対を振り切ってアイドルとして立身することを選んだ。

 しかし依然として内気だったさくらは、自らの妖精的な衣装(ブランド:オーロラ・ファンタジー)へのあこがれを打ち明けることができなかった。そこで動いたのが有栖川おとめだった。30話では、さくらの中にある衣装への愛を掻き立てるために自らもHAPPY RAINBOWへの愛をアピールし、オーロラ・ファンタジーの衣装の入手へつなげたのだった。

 そして124話では、成長した中学三年生のさくらが先輩であるおとめに感謝の意を表明する場面がある。「わたくしは、いつも何かになりたかった」「なりたい人になろうと頑張る毎日は、とても楽しかったから」と打ち明けるさくらの言葉は、自分をクローゼットの外に出してくれた先輩への感謝に満ちている。30話では自分の好きなものすら打ち明けられなかったさくらの姿を思うと別人のようだ(付け加えると、121話ではさくらは和風ドレス:桜色花伝の衣装でステージに立ってもいる。自分の好きなオーロラ・ファンタジーだけではなく、自らの家柄に似つかわしい和装を着ることにも抵抗がなくなったことに彼女自身の成長が表れている)。ミルクのカミングアウト運動が多くの同性愛者を救ったように、有栖川おとめの存在が内気な北大路さくらを救ったのだった。

 もちろん、作中ではセリフやナレーションでそのようなモチーフに言及されることはない。アイカツ!が優れているのは、説明的なセリフ等に頼らない豊かなモチーフで構成されていることだ。有栖川おとめの原型であるジュディ・ガーランドや、ゲイ・アイコンの文脈から取り入れられた「MILK」など、連想ゲーム的にキャラクター性が構築されていることがわかる。
 さらに古式ゆかしい家柄で自らを閉ざしていた幼少の北大路さくらの像には、自分の心中を打ち明けられない葛藤という普遍的なモチーフがある。そんな窮屈な環境から救ってくれたのが「アイドル」というありかただった。アイカツ!におけるアイドルというありかたへの批評性は徹底しており、安直な目配せ程度のかわいさに堕することは決してない。


 アイカツ!は、「人と違っているのは素晴らしいことだ」という当たり前の(しかし恥ずかしがって誰も言わなくなってしまった)ことを大声で言ってくれる。このような作品がこども向けアニメで発信されていることの重要さは計り知れないものだ。リアルタイムでは『オズの魔法使い』などのモチーフの意味に気付いていなかった子どもたちも、成長してからその豊かさに気付き、そして自分も無意識のうちにそれらを共有していたことを思うに違いない。

 が、そんな豊かさとは裏腹に、現在の日本では貧しい性的・人種的偏見がまかり通っている。
「LGBTは社会を乱す」渋谷で反同性愛デモ発生
「頑張れ日本」の同性愛条例反対集会で在特会員が演説


 本当はこのヘイトスピーチについても記事を書こうと思ったのだが、この団体が言っていることがあまりにもお粗末で見当違いなものなので(論ですらないものに反論などしようがない)、やめにした。
 はっきり言うと、彼らのヘイトスピーチの根源にあるのは「不安」「恐怖」だ。国家や家庭といった自らの多数派のコミュニティが立ち行かなくなったからといって、少数派の外国人やマイノリティなどをまるで悪弊のように蔑視し、除去しようとする、そんな珍しくもない貧しい潔癖主義についてここで贅言を費やすつもりはない。

 現在の日本においても外国人や性的少数者に対する差別は根強いものだ……が、それは徐々に淘汰されてゆくものだと私は信じる。「他人と違っていることを問題にすること自体が成り立たない」世代が到来することを私は夢想する。だって、アイカツ!のようなこども向け作品で既にそのメッセージは発信されているではないか。どうして路上で吠えている差別主義的なマザーファッカーどもの罵言などに耳を貸す必要があるのだろうか?

 いい歳した大人がこども向け作品に対してここまで入れあげて書くと頭がおかしいと思われるかもしれないが、私はアイカツ!のように性差別も職業差別も存在しない世界の理想を本気で信じている。それは、宇宙大作戦(Star Trek)の世界のあこがれにも近い。それは単なる理想に過ぎないのかもしれないが、60年代からなる性意識の変革も理想があったからこそ成し遂げられたのではなかったか。
 60年代末に『Over The Rainbow』を歌いながら差別のない理想の世界を夢想していた人々のように、私もアイカツ!を通して理想の世界を夢想するものである。


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2015/04/17 (Fri) 14:20 | REPLY |   

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