アイカツ!シーズン2を追想する & 劇場版アイカツ!を妄想する

 シーズン3の放送が始まり、Blu-ray BOXなども発売され、年末に劇場版の公開も決まりまして、ようやく落ち着いてアイカツ!のシーズン2を振り返ることができる頃合いになったと思います。
 書きたいことも色々出てきたので、四章に分けて書きました。ファッキン長いうえに各章ごとのつながりも薄いので、一部だけつまんで読んでいただいても大丈夫です

◆アニメとDCDとの兼ね合いについて
◆アイカツ!シーズン2が輪になるまで
(果たされなかったセイラ VS あおいから100話の涙に到るまで)
◆事後報告という構造(あと試練と成長の話)
◆劇場版のこと




◆アニメとDCDとの兼ね合いについて


 アイカツ!はアニメが2012年10月8日、DCD(デジタルカードゲーム、プレイ1回100円のアーケードゲーム)が同年10月25日に開始されたのですが、今まで「アニメありき」あるいは「カードありき」と双方の関係が明確に打ち出されたことはなかったように思います。
 象徴的なのは、シーズン2でのイベント『アイカツ!8』。これは主要キャラを対象とした所謂「推し投票」の上位8人で結成されるユニットで、DCDでも同様の投票イベントが開催されました(投票の途中経過も公式サイトで発表するという形式)。「ああ、ここでDCDとアニメが連動するのだな」と思っていたのですが、アニメ本編で組まれたユニットの編成は、DCDの投票結果とは別のものでした。
 ここがシーズン2での引っかかりの一つで、DCDのサイトで大々的に開催されていたイベントがアニメと連動しない=アニメ本編のお話の都合が感じられてしまう(アイカツ!では滅多にないこと)、という事態を呈してしまっていたなと。

 ここで、もしアイカツ!のアニメかDCD、どちらかの優先度を主・従に分けて作ったとしたら? というケースを妄想してみようと思います。


◇アニメが「主」でDCDが「従」の場合

 メリット:作品としての全体の完成度を高めた作り方ができる

 今までアニメ本編のお話を制限してきたのは、やはりDCD毎シリーズ(およそ二ヶ月で更新される)で2つずつ追加されるプレミアムドレスの存在にあったと思います。もちろん、アイドルがデザイナーに認められて豪華なドレスを手にするという筋は魅力的になり得ますが、DCDシリーズ稼働中に2つのプレミアム獲得回をやらなきゃいけない、という大前提が消化試合感を出してしまったというのも事実(とくに83話『おとめRAINBOW!』など)。
 では、まずDCD新シリーズ稼働期間中に、アニメでどのキャラにどんなエピソードを充てるかをあらかじめ決めておいて、そのお話に沿うパーツとしてカードをデザインをする、という風にしてみては。

 ……とは思うのですが、2015年版DCDからは童話をコンセプトにした「ロマンスドレス」という、数ブランドをまたいだ凝集性のある衣装のコンセプトが出てきたので、あまり現実的ではないかもしれませんね。
 そもそもアイカツ!自体が複数の脚本家さんによってアンサンブル的にお話が続いてゆくという特性なので、なにか一つの作品としての完成度を目指す方向には向かない(そもそも企図されてない)のかもしれません。

 それだけに、シーズン3以降、話数のカウントもリセットされて、タイトルも刷新されたリブートの新シリーズが開始された場合、そういう(一つの作品としての完成度を目指す)アイカツ!が始まるのかもしれないなあ、と妄想して止みません。


◇DCDが「主」でアニメが「従」の場合

 メリット:DCDとアニメを連動させたつくりができる

 すごく当たり前のことを書いてる気がしますが。でも、シナリオを優先した場合だとDCD上でのイベントと噛ませた展開をすることは難しいですよね(前述のアイカツ!8の例)。そこで、DCD上でなにか求心力のあるイベントを毎シリーズ開催して、それが納まるハコとしてアニメのお話をつくってはどうかと。

 ……とは思うのですが、最近のDCDのプレイスタイルは、既存のキャラクター(アニメに登場するいちごちゃんやあかりちゃんなど)を使って遊ぶより、むしろマイキャラ(プレイヤーのアバター。自由に容姿をデザインしたり他のユーザーとユニットを組んだりできる)を使うほうに大きく振れているんですよね(とくに2015シリーズ以降)。実際にDCDをプレイしている人を観察しているとわかりますが、多くの人が自分のマイキャラを優先的に使用してゲームをプレイしています。
 なので、既存のキャラクターを動かすための原動力として使うにもDCDは弱いのかなあと。


 まとめると、
・アニメは、DCDのプレミアム回をどう処理するかで両者が併行する意味を持たせている
・それだけに、プレミアム回の消化が義務めいた内容になることもある(アイドルとデザイナーの信頼関係が完成した後だと特に)
・DCDは、アニメにお話を進行させる素材として星座ドレスやロマンスドレスを提供している
・それだけに、時々脚本家のやりたいお話と素材がいまいち噛んでいないことがある


 というのが現状なのかな、と思います。お互いに一長一短で成り立っていると。
 それがアイカツ!らしさを醸しているのも確かでしょうし、シーズン3はこの塩梅でやりきってほしいとも思うのですが、やはり先に書いた通り、作品全体の完成度を目指した新しいリブートシリーズも観てみたいなあ、と考えてしまいます。




◆アイカツ!シーズン2が輪になるまで
(果たされなかったセイラ VS あおいから100話の涙に到るまで)

 ここからは「シーズン2って色々問題があると思ったけど実はそうでもなかった」という話になるかと思います

 アイカツ!シーズン2を回想すると、「これって、霧矢あおいちゃんによって繋がれた物語だったんじゃないか?」と思うのです。以下につらつらと書きます。

 シーズン2最初の第51話冒頭にて、新しいアイドル学校ドリームアカデミーの登場によって、あおいたちのスターライト学園が若干日陰に立たされているということが示されます。そこでドリームアカデミーの大型新人:音城セイラとのオーディション対決が催され、スターライト学園代表として霧矢あおいがステージに立つという展開に。
 基本的にシリアスなバトル形式の見せ方はしないアイカツ!ですが、ここでは「あおいがオーディションに勝利しなければ、織姫学園長がスターライト学園を辞任する」という重めな展開が示されます。星座ドレスでスペシャルアピールをきめるセイラ、自分に星座アピールができるのかと焦るあおい。ここであおいが選んだのは、アメリカ留学から帰国した親友:いちごの申し出を受けて、代役としてオーディションに出てもらうことでした。

 こうして、「セイラ VS あおい」は取り上げられたまま終わりました。ともすればスターライト VS ドリアカというシリアスな対立構造がシーズン2の柱になるのでは、と思われましたが、以後の展開はいつもの「仲間だけどライバル」方式のキャッキャ感に回収されました(ドリアカの学生もスターライトの学生と一緒にオーディションに出たり、あるいは堂々と校舎の中に入ってきたりするので、「別の学校」というよりは「隣のクラス」という感じ)。自分自身、そこに物足りなさを感じていたのも事実です。

 しかし、シーズン2が終わった今だと、「あおいが自分の代わりにいちごをオーディションに出した」という選択そのものが、100話のステージ(2wingS いちご・セイラ VS WM 美月・みくる)を完成させるまでの大きな流れの端緒のだったように考えることができます。

 52話であおいの代わりにオーディションに出たいちごは星座アピールを出し、セイラと同点でオーディションは引き分けに。ここからスターライトとドリアカの交流が始まります。
 59話ではあおいのプロデュースによるドラマのオーディションにセイラと冴草きいが参加。66話ではきいのプレミアムドレス獲得のためにスターライトの学生も奔走する。
 ここで重要なエピソードが71話『キラめきはアクエリアス』。「水みたいな存在」だという自分自身のありかたに葛藤したあおいですが、「私は霧矢あおいの可能性を信じる」という決意のもとにステージに立ち、51話から宙ぶらりんになっていた星座アピールを成功させます。
 しかし、71話の終わりは、何か独特の余韻を残す独白で結ばれます。

「私はいちごみたいになれないかもしれない。でも、私は私であればいい。
 みんなの花を咲かせる支えとなる、そんな私に」



 ここで、あおいはいちごのような生来のトップアイドルではなく、むしろ同期や後輩を支えるような、アイドルというよりは教員のような立ち位置になるのでは、という将来が予感させられるわけです。
 ドリアカのティアラ学園長の「この先、スターライト学園を背負い続けるのはあなただよ」というセリフ、そして何よりシーズン3であおいが教師として後輩に講義する場面が加えられているのも、上記の独白を意味を裏付けています。

 71話のあおいの独白は、非常に苦みを持たせるものでもあります。自分は親友のいちごと同じ存在にはなれないという事実を受け入れるということなのですから。ここで、第2話でいちごとあおいが校門をくぐる前に交わした会話を思い出してみるのもいいかもしれません。

 そしてあおいは、アイドルに復帰した神崎美月のユニット:WMに対抗するユニットを生み出すために、きいと一緒にセイラといちごを組ませ、2wingSを結成させます。93話での「トゥインクル・スターカップへの出場をお願いします」とかしこまった語調でいちごに告げる場面は、71話の独白で「身を引く」ことを受け入れたあおいの成長を踏まえると非常に印象深いものです。

 そしてついに、トゥインクル・スターカップのステージを描く100話で、WMに勝利した2wingSを見て涙を流すあおい、という絵に到るわけです。
 アイカツ!は、「涙を流す」という描写を非常に慎重に取り扱っている作品です。女の子が涙を流すというだけで否応無しに劇的な絵になってしまうので、その反則技を乱発しないように「涙」の描写は特に重要な場面でなければ使われません。
 シーズン1では、16話:美月と比べて自分の到らなさを痛感したいちごが涙を流す場面、35話:Tristarオーディション後のいちご・あおい・蘭の別れの場面、そして50話:留学を決めたいちごとスターライト学生みんなとの別れの場面などがあります。
 シーズン2では、95話で自らが通うドリアカの設立秘話を知ったセイラが涙を流す場面が印象的です。やはりシーズンのクライマックスになる話数まで、涙を流す描写は徹底してセーブされています。

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 それだけに、100話でのあおいの涙は真に感動的です。なぜならそれは彼女だけの感情の高まりではなく、いちご、セイラ、きい、さらに神崎美月とそのパートナー夏樹みくる、すべての登場人物を巻き込んだ一大ステージの達成を意味しているからです。それを成就させるきっかけになったのは、果たされなかった51話のセイラ VS あおいに代表される、霧矢あおいの「身を引く」という選択でした。
「私はいちごみたいになれないかもしれない」という事実を受け入れ、裏方に徹して神崎美月のWMに対抗するユニットを結成させた霧矢あおいの決断。果たしていちごは美月に勝てるのか? という感情の流れによって、アイカツ!シーズン2の51~100話はひとつの線でつながれていることが明瞭になります。ここで、『SHINING LINE*』のOP映像でキャラクターをつなぐ「線」が霧矢あおいから始まっていることを思い出すのもいいかもしれません。

 たしかに、シーズン2のクライマックスとなるトゥインクル・スターカップへの流れは多少強引です。「マスカレードを超える」という美月の発言も、「動員数を超えただけでマスカレードという伝説のアイドルを超えたことになるの?」という疑問が沸くし、正直WMと2wingSの勝負自体もお話の都合っぽさを感じなくもなくもありません。しかし本当に重要なのは、51話の霧矢あおいの選択から始まったスターライトとドリアカの交流、そこに独立した神崎美月の企画も加わり、すべてが輪になった達成としてトゥインクル・スターカップという“作品”が完成したということであり、そこにシーズン2の最大の盛り上がりを置いたのは本当に正しかったと思います。

 アイカツ!シーズン2とは、自らアイドルとして活動しながらも、いちごやセイラを支える存在として身を引くことを受け入れた霧矢あおいの、少し苦くも尊い成長の物語だったのかもしれません。




◆事後報告という構造(あと試練と成長の話)

 これはずっと思っていたことなのですが、アイカツ!のお話の構造には「事後報告」と名付けられるようなものが存在します。
 とくに「新しいキャラクターが初登場するエピソード」においてこの構造は顕著になります。ちょっと表を用意したのでご覧ください。
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 左は、劇中における「キャラクターの過去」の要素。これは往々にして独白・回想(止め絵が多い)によって語られ、それそのものがお話の主題になることはありません。
 右は、劇中の主要素となる「キャラクターの現在」の要素。主に既存のキャラ(いちご・セイラ・あかり等)が新キャラの過去・ルーツを知り、それによって絆を深めたり協力したりして、最終的にはCGのステージで達成を見る、という方式です。

 ここで問題になるのが、「この事後報告の構造だと、お話の中でキャラクターの成長が描きにくいのではないのか?」ということです。
 定石では、新しいキャラクターを出すにあたって試練を与え、それを乗り越えさせることによって観客の感情をつかむ、というのが有効なストーリーテリングであるように思われます。とくにスポ根的要素もあるアイカツ!ならばなおさらです。
 しかし、アイカツ!(とくにシーズン2での風沢そら・姫里マリア)では「試練や葛藤めいたものは既に通過していて、その経験があるおかげで現在のアイドルがいる」という描かれ方がされることが多いのです。これを呼び成して“事後報告の構造”です。


 個人的には、アイドル学校としての裏幕(レッスンやオーディションなど)での成長を描くアイカツ!なのに、この構造ではあまりにもキャラクターの成長が感じられないのではないか? と思っていました。たしかに過去にしっかりとルーツを持っているアイドルは強固なキャラクターとして見えますが、「それって箱を開けたら組み立て・彩色済みのプラモが入ってるようなもんじゃないか? レベルがみんな98くらいで始まるRPGみたいなもんで、味気なくはないか?」と思っていました。

 たしかにこの構造は、少ない話数で多くのキャラクターをさばくには有効なものだと思います。しかし、それを採用するにしてもデメリット(成長が足りない・キャラクターの掘り下げが足りないように感じられる)ばかりが目立ちすぎではないか、もっと事後報告の構造のみにしか成しえないメリットのようなものが打ち出せないものか……
 と考えていたんですが。来たんですよ。シーズン3で。108話と109話が!


 アイカツ!108話は、氷上スミレがロリゴシックのプレミアムドレスを獲得するためのエピソードです。言うまでもなく、プレミアム回はキャラクターの掘り下げ・成長を描くにおいて重要な節目です。
 108話は、先輩:藤堂ユリカのプレミアム回である20話を踏まえた形式で進行します。ユリカは、スキャンダルで落ち込んでいた自分を発奮させるためにデザイナーに自分の熱意を伝えるかたちでドレスを獲得しましたが、氷上スミレがドレスを獲得するにおいては、前述の事後報告の構造が作用しています。

 ロリゴシックのプレミアムを獲得するためのテストで、氷上スミレはロリゴシックの衣装に対する知識を試されます。そこを乗り切るきっかけになったのは、「アイドルになる前、母と姉と一緒にロリゴシックの衣装を縫製して試着していた」という過去の経験でした。
 この点に、私は初めて事後報告の構造の利点を見た心地がしました。一つは、お話の語り口がスマートで経済的なものになされていること。キャラクター自身の中にそのブランドに選ばれる経験が蔵されていたという描き方は、プレミアム獲得のために特訓をさせるよりも手短に、よりキャラクターの内面に深みを添加することに成功しています。

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「ちょっと待って、それは単なる後出しジャンケンなのでは? 努力を描かないのは、キャラクターを甘やかしているだけでは?」と言われるかもしれません。しかし、アイカツ!はシーズン1の頃から無意味な努力・実を結ばない努力を明確に戒めています。第7話『つぶやきにご用心』でのあおいの過度な情報依存への戒めの言葉、第31話での非効率な特訓に対する「2mの崖で1m99cm跳べたとしても、結局は落ちる」という教師の言葉を思い出してみてください。

 確かに、「プレミアムドレスを獲得するためにものすごく勉強して、レッスンして、その努力が認められる」というお話は王道で、説得力があります。しかしその「王道」で「説得力」のある描き方をしたからといって、本当にキャラクターを「魅力的」に見せることができているか? ともすれば、「試練を用意して、努力をさせて乗り越えさせなければ、成長はない」というドラマツルギー自体が、大人が勝手に内面化した陳腐な構造にすぎないのではないか? ということは、私自身アイカツ!を観ていて何度も思わされたことでした。

 アイカツ!において、キャラクターを成長へと導いていたのは常に「気付き」でした。
 第5話で、自分のことばかり考えていたいちごが、蘭によってファッションショーという舞台がたくさんの人によって成り立っていることに“気付かされる”場面。
 第20話で、自分のファンのためにステージに返り咲かなければ、とユリカがいちごによって“気付かされる場面”(プレミアム衣装の獲得自体に至上価値を認めているわけではないことが重要)。
 第23話で、蘭が先輩の姿を通して、デザイナーのミューズになるとはどういうことか、ということに“気付かされる”場面。枚挙に暇がありませんが。むしろここでは、スポ根的な特訓(サーフロックっぽいBGMが流れる)の描写は反語的な、結果に通じない努力として用意されることが多いのです。

 108話が優れているのは、前述の対比としての「非効率な特訓」の要素を排して、そこに事後報告の構造を当て込んだことにあります。それによってどうなったのかというと、キャラクターの成長に繋がる「気付き」の種をキャラクターの過去の中に配置し、テストを通してそれに“気付かされる”という、多層的な感情レベルの高まりが演出されました。

 しかし、108話はその構造に頼るだけには終わりません。ロリゴシックへの適性が自分の過去に蔵されていたことに気付いた氷上スミレは、ロリゴシックの白雪姫モチーフの新ドレスに対して「白雪姫のドレスにリンゴが付いているのは変ではない」という意見を述べます。控えめな性格の氷上スミレだけに、ここでの行動は印象的です。

 さらに、ここでは氷上スミレの「いいこと占い(悪い占いの結果でも、別の見方をすればいいことになり得る)」という価値観によって、「白雪姫に死をもたらした不吉な記号=リンゴ」が「いいこと」として受け入れられるという図式が働きます。なぜこのドレスがスミレに与えられるのか、というロジックがここで完成されるわけです。(さらに、不吉で暗いものを自分の中に受け入れて変身するというモチーフは、藤堂ユリカのルーツである吸血鬼にも通じます。108話にちりばめられた重層的なモチーフの引用は驚くべきもので、これだけで記事が書けるほどです)


 続く109話では、初登場のキャラ:紅林珠璃が参加するドラマオーディションが描かれます。
 大女優を母に持って生まれた珠璃は子役として活動していましたが、「自分はこのままじゃ本当の女優になれない、七光りのままだ」と葛藤して一度子役を辞し、自分が納得するまで修行を積み、スターライトに編入した、という過去があります、これは事後報告の構造により、回想と独白で述べられます。

 考えてほしいのですが、「大女優の七光りとしての葛藤、そこから身を引いての修行の日々に」というくだりだけでエピソード丸々一話使って描けるようなものです。むしろ幼少の珠璃の葛藤は大人びすぎているように思えるし、その内容は中学一年生の現在の珠璃に負わせたほうが自然にも思えます。が、109話は、あかり達によって「自分は大女優の娘としてではなく、アイカツ先生という役柄になりきればいいんだ」ということに“気付かされ”た珠璃が、修行や特訓の成果を発揮してオーディションに合格する、というものでした。

 ここでは「気付き」と「事後報告」が二重に作用しているのがわかります。まず、幼少に「このままでは親の七光りのままだ」ということに“気付いた”珠璃が子役を辞したという「事後報告」。そして、あかり達との出会いによって自分の果たすべきことを“気付かされる”。そしてオーディションの合格後、母親との会話によって女優としての自分を認められた瞬間、109話というエピソードそのものが「事後」になり、エピソード全体が紅林珠璃というキャラクターの掘り下げ、成長として観客に「報告」されるという構造。
 これは初登場の紅林珠璃というキャラクターに観客を引き込むために完璧と言える構造ではないでしょうか。過去と現在を織り交ぜつつ、キャラクターの葛藤を一点の達成に導く手際は驚くべきものです。
 また、時折スペイン語を話す情熱的なキャラクターという珠璃の初登場回に、ドラマオーディションという舞台を用意したのも正しすぎるほど正しい。ともすれば露骨なキャラ付けに上滑りしかねない強い個性のキャラクターを、ドラマという虚実の皮膜を一枚越した舞台で踊らせてみせたのは大正解です。


 ……というふうに、シーズン3での高い完成度のエピソードを観るたびに、「どうしてこれをシーズン2でやってくれなかったのか!!」と思わずにはいられません。シーズン3ではアイドルとデザイナーが互いに協力して作品を生み出すという描き方が多くなされているのですが、これこそ自分がシーズン2で一ノ瀬かえでやドリアカのアイドルで見たかったものでした……
 他にも、108・109話のような見事な手際でのキャラの掘り下げを、北大路さくらや風沢そらや姫里マリアにしてあげてほしかった、と言い出したらキリがありませんが。やや不安定さもあったシーズン2での反省が活かされているからこそのシーズン3の完成度なのだと思うと、アイカツ!製作陣の志の高さが伝わってきて、正しいなあ、と思うのです。




◆劇場版のこと

(ここまで読んでる人いるのか……? いるならありがとうございます)

 さて、いよいよ今月13日から劇場版アイカツ!が公開されます。
 内容はテレビ映画の王道の全キャラクター大集合お祭りになるようで、それはそれで物凄く楽しみです。

 個人的に注目しているのは、この劇場版は「人間としての星宮いちご」を描く最後の機会になるのではないか? ということ。シーズン3を見るとわかりますが、星宮いちごは何か超越的なバイタリティとプロフェッショナルと洞察力を持った超人的なアイドルとして描かれています。
 この劇場版で「スター宮いちご祭り」の舞台となるステージは、第1話でいちごが美月のステージを初めて観た会場。ということは、星宮いちごが自分自身のすべての動機となった原初的なあこがれに向き合う、という内容になるはずです。既に世捨て人めいた存在になってしまった神崎美月から、星宮いちごに「天上人のアイドル」というバトンが渡されるまでの話になるのではないかと。

 というところに、映画版主題歌『輝きのエチュード』のジャケット絵が発表されました。
劇場版 アイカツ!ボーカル集 輝きのエチュード劇場版 アイカツ!ボーカル集 輝きのエチュード
(2014/12/13)
STAR☆ANIS、わか from STAR☆ANIS 他

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 アイカツ!のCDジャケットはどれも色鮮やかに彩られているだけに、ここにきて初のパステル画のような淡い色調になったのは「ついにきたな」という感慨があるのでは。

 ここでちょっと不安になるのは、「劇中で歌われる楽曲自体に重い意味を持たせすぎると、観客との感情の乖離を招きかねない」ということ。劇場版20世紀少年なんかはそのせいで見るも無惨なエンディングになっていたし、正直今年の劇場版アイドルマスターのクライマックスでも危ういところがあった……と思います。
 でもそこはアイカツ!なので、うまい具合の演出でそれを感じさせない内容に仕上げてくれる、と信じたいです。楽曲自体のクオリティも非常に楽しみです。

 というところでおしまい。全部読んでくださった方はありがとうございました。



(アイカツ!とはあまり関係ない追記)

 デヴィッド・フィンチャー製作総指揮のドラマシリーズ『ハウス・オブ・カード』がめっっちゃ面白いです。今シーズン1を観終えたばかりなのですが。ジョエル・シュマッカー監督の5,6話、そして『J・エドガー』めいたおじさん同士の純愛がものすごく控えめに描かれる8話がほんと素晴らしくて。
 今たしかTSUTAYAのクーポンで海外ドラマ準新作までが無料レンタルできるので、この期に見ていただきたい。私はアニメとかドラマとかを根気よく続けて見たことがないのですが、アイカツ!とハウス・オブ・カードだけは例外でした。
 穏やかじゃない。
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