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ジャパノセントリズム(『けものフレンズ2』短評)




 エスノセントリズム(ethnocentrism)、という語があります。「自文化中心主義」と訳されますが、「自分の生まれ育った文化を起点に置き、その他の文化を周縁に置く」類の思考は少なからずエスノセントリズムだと言っていいでしょう。
 エスノセントリックな態度は世界各地の文化圏で見られますが(もちろん中国にも日本にもあります)、とりわけ(世界史的に17-20世紀を優勢とした)西欧の価値観を押し付ける偏向をエスノセントリズムと呼ぶのが一般的です。たとえばマリリン・モンロー的な、「スリム」で「美白」で「スタイル抜群」な人物造形を美の理想として疑わないモデルがある。これは否定しようもない事実でしょう(ちなみにマリリン・マンソンが1997年のアワードで行った「もう美のファシズムには屈しない」* という有名なスピーチがありますが、つまり彼はこういう偏向を攻撃していたわけです)
 しかし21世紀前半において、エスノセントリック(≒西欧文化中心主義)な偏向は少しずつ崩されてきています。主要キャストをアフリカ系英語圏人またはアフリカ人から起用した『ブラック・パンサー (2018年)』の批評的・興行的成功、同様に主要キャストをアジア系英語圏人またはアジア人から起用した『Crazy Rich Asians (2018年)』の世界的大ヒットなどは、象徴的な出来事として記憶されるべきです。さらにモデル業界では、「スマート」な痩身を理想とするのではなく「肥満体」の新しい美のイメージを提示するプラスサイズモデルがあらわれています。日本との関連では、渡辺直美さんが台湾観光親善大使に就任したりVOGUEの動画シリーズに出演したり* していますが、言うまでもなくプラスサイズモデル的な美意識の転換が評価されてのことです。
 ここまで縷述したように、現在ではエスノセントリック(≒西欧文化中心主義)な偏向は退潮にあり、エンターテイメントの分野においてさえ(いや、エンターテイメントの分野だからこそ)文化的な多様性を高く評価する潮流になりつつあります。これはもちろん、たかだか17-20世紀のあいだ優勢であるにすぎなかった西欧的価値観の断末魔(ヴァレリーを引けば『精神の危機』)を象徴するものでしかなく、これから21世紀においてアフリカ、アジアの文化圏が息を吹き返す兆候でもあるでしょう。

 ……さて、前置きが長くなりましたが、今年1-4月にわたって全12話構成で放映された『けものフレンズ2(監督:木村隆一/シリーズ構成・脚本:ますもとたくや)*1』は、徹頭徹尾エスノセントリズムに貫かれた作品です。むしろ「自文化中心主義」よりも「人間中心主義」と言ったほうがいいでしょう。前作の時点では「動物をモチーフとした人型のキャラクター(=フレンズ)」として登場していたものたちの言行が、今作では徹底的に人間の調教の結果として描かれていた(とりわけグロテスクな描写は第3話のバンドウイルカ&カリフォルニアアシカと第9話のイエイヌ)のはもちろんのこと、終局的にこの作品が収斂されるのは「ヒト(今作では他のフレンズとは別格の存在として描写されている)の出自を持つ主人公:キュルルの情緒的な満足(「みんなのことが好きで好きで……大好きなんだー!」・「思ってたのとは違ったけど、ちゃんと見つけられた。僕はここがいい!」)」でしかないからです。しかも主人公が旅の結果として見つけ出した「おうち」が、他の生命種(=フレンズ)の生活圏への介入・および具体的な破壊の結果でしかないことを踏まえると、これは『アギーレ/神の怒り (1972年)』も真っ青なエスノセントリズムと言わざるを得ません(実際、『けものフレンズ2』御一行の旅程は、15-17世紀のコンキスタドールを戯画化したものとして見るとたいへんに筋が通っています。道中で横暴・残虐な行いをするのに本人たちは楽しそうであまつさえ使命感に燃えてもいる、という病理まで同じです)

 最終話の放送から1週間ほど経過した現在では、すでにこの作品に対する悪評(理知的なものから痙攣的なものまで)が出揃っているようですが、その中に「『2』のスタッフは前作に対して明らかな悪意を持っている。前作で積み上げたものを徹底的に破壊したかったんだろう」と激怒しているタイプが多く見られます。が、しかし公平に言って、それは情緒過多なファンの思い入れが投影された結果のヒステリーであろうと思われます。「悪意」云々の存在が問題なのではない。重要なのは、『2』の監督・脚本家は本当に「良いもの」としてこの内容を作ったという事実のほうです。他者の文化・生活を破壊・搾取してまで自分(=ヒト)の情緒的満足を確保する、そのことを顧みないどころかむしろ自足する。というエスノセントリックとしか言いようのない醜悪さは、実は監督:木村隆一の代表作である『アイカツ!(2012年10月-2016年3月)』の時点ですでに表出していたものです。『アイカツ!』の3年半にわたる旅程は、結局ただひとりの人間(大空あかり)の情緒的満足を「良いもの」として終わるのです。その満足のために徹底的に「周縁」として描かれる「地方(京都、神戸、大阪、北海道、沖縄)」の存在、および最終的な帰結のために犠牲に供されるイエイヌ的存在(氷上スミレ)までもが既に描かれていたことも補足しておきましょう*2 。『アイカツ!』は今年4月からTOKYO MX1にて再放送されるようですので、この機会に観直してみることをお勧めします。あんな代物を「あこがれのSHINING LINE*」だとか「ありがとうの生まれる光」だとか呼んで耽溺していた精神がどれだけ病的だったかは、現在になってようやく理解される質のものでしょう。

 さて結びに向かいますが、『けものフレンズ2』の内容がとりわけグロテスクなのは、(少なくとも多様な存在を良しとしていたように見える前作と比べて)単一の価値判断のみしか尊ばれていない、しかもそのことが一切の批判に晒されないこと、これに尽きます。冒頭で「自分の生まれ育った文化を起点に置き、その他の文化を周縁に置くこと」をエスノセントリズムの定義としましたが、この鉤括弧を『けものフレンズ2』の内容要約として読んだとしても何の違和感もないでしょう。
 さらに追及すると、アニメという表現媒体が持つ一種の純血性についても言及しなければなりません。大抵のアニメでは出演者ほぼ全員が日本人で統一されていること(最近では外国出身の声優さんも増えてきてはいますが、先述したアジア、アフリカを含む世界的なエンターテイメントの多様性と比べてアニメは純血的としか言いようがありません)、およびキャラクターの髪や肌の色はとてもカラフルなのに出身地・人種・宗教などの具体的描写・設定については「そ、そんな面倒な話したくないよう。だってボク、そういうことよく知らないし、ヘタなことしたらその、お、おこられる気がするもうん」とばかりに省略されるのが当たり前であること。これらアニメ特有の純血性がエスノセントリズムと最悪の結託を果たしてしまった作品が『けものフレンズ2』だということを認識しなければ、この喩えようもなく醜悪な作品から何かを学んだことにはなりません。少なくとも2019年現在(多くの摩擦を伴いつつ)多様性を祝福する傾向にあるエンターテイメント表現において、ここまで反動的*3 で幼児的な代物が出てきてしまった、それが白人至上主義者でも(それに対抗する他人種の)急進的民族主義者でもなく「普通の日本人」によって作られてしまったこと。この事実を見据えることができなければ、『けものフレンズ2』が孕んでいるあの「厭さ」の正体を掴んだことにはなりません。「ジャパリパーク」という名の楽園(paradeisos は 「動物園」を意味する pairidaēza に由来する )をここまでグロテスクなものに仕立て上げた、「日本のエスノセントリズム」とでも呼ぶべきものが刻印された記念碑としてのみ、『けものフレンズ2』は存在意義を持っていると言えます。



*1 後の『アイカツ!』関連の文脈のためにも、テレ東プロデューサーである細谷伸之の名も出しておくべきでしょうか。木村隆一と細谷伸之は『アイカツ!』の頃から座組みを同じくしており、過去には(子ども向けアニメであるはずにも拘らず)泥酔しながら『アイカツ!』の劇場版にコメンタリーをつける趣旨のニコ生を主催する(それも制作会社や映画館の企画ではなく、木村や細谷が自発的に開催した)という信じがたい行為に及んでもいます。……ですので、『アイカツ!』を通して木村や細谷がどの程度の人間かを見せられている側からすると、『けものフレンズ2』をきっかけに木村や細谷に憎悪を向けている人々を見ると、懐かしさというか、若干の苦笑感さえ覚えます。

*2 『アイカツ!』が逢着した狭隘な世界観と引き比べると、その次作である『アイカツスターズ!(監督:佐藤照雄/シリーズ構成:柿原優子)』2年目でのエルザ フォルテがモナコ王妃(西欧の内部に在りながら「帝国」たるフランスに抗して独立を守った国)の裔という出自を持ち、彼女が率いる学校には世界中のアイドルが集められており、その中には日本人に姿形が似たハンガリー出身(言うまでもなくハンガリーは東欧で最も混血的な土地。マジャル人はモンゴロイドの遺伝子も継いでいる)のキャラクターまで存在していたという事実は、『アイカツスターズ!』が(日本人の手によって作られたアニメとは思えないほど)異様に緻密な世界史的思考に貫かれていたことを印象付けるものです。もちろん『アイカツ!』の3年半ではそのような多様性を利用した設定・描写の妙などは(風沢そら━━第61話でモロッコにて幼少期を過ごしていた描写があるが、その設定は本編で一切活かされなかった━━と紅林珠璃━━父親がスペイン人であり、第141話ではスペイン料理とメキシコ料理との違いを紅林とその相方である新条との違いに結びつけた作劇が成されており、2年目までとは違う人物描写ができていたもののそれ以上特筆すべきことは起こらなかった━━の2名を除けば)一切見つけることができません。

*3 「反動的」ついでに指摘しましょう。どうやら、Twitter上で木村隆一のアカウントが散発的に「反安倍政権的」・「反トランプ政権的」ツイートをRTするせいで「木村隆一は反日で左翼だ」と柳眉を釣り上げているアニオタの方々がいるようですが(私が今どれだけの笑いを堪えながらキーボードを打っているか想像してほしいのですが)、当然ながらこれは不正確です。少なくとも『けものフレンズ2』の内容のみで判断した場合、木村隆一は世界の主潮流である多様性に全くの配慮をしておらず、エスノセントリックな思考にすら流れていることは本文で指摘しました。である以上、木村隆一および『けものフレンズ2』の思想的スタンスは「左翼的」どころか「反動的」が正確であり、その監督および作品を前にしたアニオタの方々(往々にして狭隘な民族主義と知的劣等感に裏打ちされたゼノフォビアを併発しているパターンが多い)が激烈な憤激を覚えるという事態は、やや精神分析めいた言い方になりますが、それは「鏡に映った自分と同質のものを憎悪している」以外の何物でもないことになります。ええ、私はいま大笑いしながらこの註を書いていますよ。願わくは、SNSや動画サイト上でどれだけ声を荒げようと遂には内に秘めた臆病さを隠せないアニオタの方々も、この事態を笑い飛ばせるくらいに肝が太くなってくれたらいいのですが。






 
 久しぶりに短評めいたことをしてみたが、書きやすいことこの上なかった。私はNetflixで『けものフレンズ2』および前作を一通り視聴したにすぎず、思い入れなどは一切持っていないからである。短評とは、包丁で魚をおろすように、あるいはドライバーで機械を分解するようにして、どの機構がどのように作用しどのような結果を及ぼしたか、を明らかにするものでなくてはならない。「私は〜〜のような感想を持った」「私にはこの〜〜は受け入れられなかった」「私にとって〜〜はこういうものだったのに」などの一人称的な思い入れの記述は無用なのだ。読むにおいても書くにおいても、一人称的な思い入れに耽溺して自分の傷を撫でまわすことしかできていない、つまり「エモく」あることしかできない人間の機制を見抜く技術は今や非常に重要である(「エモさ」は個人の情緒に基づく近過去への憧憬または追認を許すための燃料でしかなく、つまり「政治的情動」の対義語である)

 返す刀で指摘するが、『けものフレンズ2』に関する情緒的な憤激(というか、泣き言)をネット上に撒き散らしている者たちに言いたい。君たちはSNSや動画サイトという「表現の自由(ひええ)」によって悪辣な制作者たちへのレジスタンスを行なっているつもりなのかもしれないが、実際には、この幼形成熟の世紀における典型的な症例のサンプルを提供しているだけである。後の世の精神科医たちは、SNSや動画サイト(『けものフレンズ2』の批評──という名の泣き言──が展開されている主要プラットフォームがニコニコ動画というのも、今更ながら暗澹たる気持ちにさせられる。君たちは文字を読み書きする際に、もうページをめくることすら、画面をスクロールすることすら億劫になってしまったのだ)にアップされたオタクくんたちのエクリチュールを、21世紀前半という奇怪な時代に起きた戦争の原因を分析するための格好の材料として俎上に乗せるだろう。急に「戦争」という語が出てきたことに驚くつもりかね? さすが、自分の発言に責任を持たない君たちはしらばっくれに関しても一流らしい。通史的に見れば、欲求不満の馬鹿どもが、大声で、それも集団になって騒ぎ始めたときに必ず戦争が起こっている。次の戦争は君たちが率先して煽り立て、正当化し、そして死にに往くものになるだろう。それは「アニメじゃない アニメじゃない/現実なのさ」「アニメじゃない アニメじゃない/本当のことさ」。

 その悲惨を避けたくば、君らオタクくんたちは21世紀的な「新しさ」から離脱し、20世紀以前の教養に手をつけるべきだろう。人間の精神とは、アドラーが言うように個人的なものでも、ユングが言うように集合的なものでもない。人間ひとりの情緒のエネルギーには限界がある。自分のエネルギーをどこにどのように傾けた結果どのような反復を強いられているかについて、具体的に考えてみることだ。「効率」だの「時短」だの「コスパ」だのを尊ぶ君たちが、実際には情緒のエネルギーを搾取され次なる戦争の頭数として動員されつつあることにすら気付けないとは、悲惨を通り越して滑稽でしかない。まずはSNSなんか全部やめちまえ。そうすれば君たちは、如何に自分が情緒のエネルギーを陰湿性に転化する奇怪なビジネスに搾取されていたかを理解するだろう。それはある意味で、一次大戦以降にフロイトが直面した戦争神経症の反復でもある。2019年、一次大戦終了から100年目の年において、如何に前の時代とは別の戦争を闘うことが、すなわち如何にファンキーであることができたか。我々は必ず、次に来る世代にそのことを問われることになる。逃げられると、思うなよ。

 

SPACE IS THE PLACE (for AIKATSU FRIENDS!)

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『アイカツフレンズ!』が本当にギャラクティック・ソウルになってしまった。
 1年前から予想はついていたとはいえ、こんなド直球でやりにくるなんて誰が思うだろうか。

『フレンズ!』2年目は『スターズ!』2年目とは全く別のものになるだろう、ユングとフロイトが全く別の人間だった程度には。彼女らは上昇と下降ではなく、ついに重力自体から放たれることを望むようだ。しかしそれで良い。前のものとは全く同じにならなかったことで集団的なヒステリーを発症し、ファンキーさのかけらもない反復強迫に苦しむばかりのフレンズとはまた別の「フレンズ」が存在することを、ここから証明しうるのだから。行けるとこまで行ってくれ。Swing down, sweet chariot, stop and let me ride.





『癲』詩集版完成のご案内

☷PANDEMIC
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『癲』詩集版が完成いたしました。
 現在、下記クラブ/ショップにて少数置かせていただいております。もちろん無料で入手できます。

[club]
Desiderata
[shop]
DARAHA BEATS
TICRO MARKET
BASE(二日市)

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(@TICRO MARKET)
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(@DARAHA BEATS)

 遠方にお住いの方には、特設サイト注文フォームからの入手が可能です。
 在庫数は(今後も野放図に方々のクラブ/ショップに置かせていただくつもりなので)常に変動しますので、お求めの方には早めのご注文をお奨めいたします。

 もし、福岡県外のクラブ/ショップの所有者で「あっこれヤバそう。置きたいかもしれない。でも遠くからまとまった数送ってもらうのもちょっとな」とお思いの方がおられましたら、QRコード付のポスターデータ(A3サイズ)がございますので、こちらを印刷して壁に貼っていただくだけで『癲』蔓延の助力となります。ご協力に感謝いたします。

(甘粕記)

付音念願す上へ行く(SAYSING_BYOUING『癲』リリース記念インタビュー)

『癲』特設サイト
DOWNLOAD / booth / firestorage
DatPiff / SoundCloud

@Irish Pub THE HAKATA HARP
インタビュー&文字起こし by 甘粕試金




☷『ILLISH』から『癲』へ

─現在、西暦2019年3月1日18時02分。アルバムのマスタリング、詩集版の製作、CDの入稿が完了し、いよいよ最後の作業であるインタビュー収録へ臨まんとするところです。まずは、アルバムの完成を祝して乾杯しましょう。

 乾杯。2ヶ月ぶりかな。製作中の禁ギネス期間は堪えたよ。

─まずは時系列順でいきますか。あなたから『ILLI口』のラフミックス音源が送られてきたのが西暦2018年12月12日23時43分。この時期からレコーディングに入ったと見ていいわけですね。

 ああ。それまではトラックは出来ていたものの、レコーディングは遅々として進んでいなかった。何故かというと簡単で、歯医者にかかってる最中だったからだ。11月末に全部の治療が終わると同時に、すぐさまレコーディングに雪崩れ込んだ。終えたのが1月22日、2ヶ月程度で全10曲を録り終えたことになるかな。まあ、俺にしては速い方だ。

─新曲にとりかかる前に、『ILLISH』『ILLISHⅡ』で発表ずみだった楽曲の再録について伺いましょう。まず『臀部開拓史』の歌詞が微妙に変わり、もう金正恩がディスの対象ではなくなっていますね。

 正恩は大した男だと思うよ。80年前の日本軍なら間違いなくキレていたところを、やつは踏みとどまった。西暦2017-18年における北朝鮮の忍耐強さは、キューバ危機の頃のソ連に比肩しうるのじゃないかな。まあ、手前の国を独裁のまま生きながらえさせる手腕においてのみ、の話だが。

─再録ぶんの作業はいかがでしたか。具体的には、新曲と再録どちらのほうに手間と時間が取られたか、ですが。

 さすがに再録は早かったよ。『手前どもの手先』なんかは1日で録ったかな。他の曲は数日に分けてレコーディングしたものを繋いだりしてるんだが。まあ「1ヴァースごとに1テイク」の方針は全曲貫徹している。パンチインなんか面倒臭くてやってられないからな。

─収録環境に関しては……

 全曲自室でやった。いわばベッドルームレコーディングだ。その環境でこれだけのものを創り得た事実は、あらゆるジャンルのミュージシャンにとっての希望だろう。



─『手前どもの手先』に関しては、先行公開用にミュージックビデオも製作しましたね。撮影・編集を私がやったわけですが、白黒ならではの制限美と「営々と澱みなく続く、奇矯な鉄火場の夜」とのマリアージュが実現されたと思っております。

 いい仕事をしてくれたよ。撮影時の状況も良かったな。小雨が降った後で石畳が濡れていて、光の加減も良かった。さらにあの公園の鉄扉に貼られていた「ADHD」のステッカーを見つけた時には、「もらった」と思ったよ。

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[撮影:甘粕試金]

─その帰り道にポートレイトも撮影したわけですが、使えそうなのはこの1枚しかありませんでしたね。

 かなりの枚数撮ったんだけどな。あの公衆便所の前で撮ったやつなんか、良かったじゃないか。

─あれは男娼に見えすぎるのでボツにしました。後日あらためて撮ったポートレイトがこれですね。もしアー写の提出を求められたら、このうちいずれかを選んでもらうことにしましょう。

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[撮影:甘粕試金]

 本当に良い顔をしているな俺は。「ヒップホップ第5要素:フェイシング」とはよく言ったもんだ。

─ポートレイトのコンセプトは「ベッドルームメイプルソープ」でしたか。

 ああ。ただ、ここで「ジョナサン・グレイザー監督によるギネスのTVコマーシャルとメイプルソープによるポートレイトとの近似性」について一席ぶってもしょうがない。話を戻そう。
『手前どもの手先』ミュージックビデオについて補足すると、動画の最後に表示される☷(坤)の易経記号は、「我々のアルバムは三月三日にリリースされる」と「我々は西南(=坤)から来た」のふたつの意味がある。この楽曲のリリック自体が「対向」をテーマとしているように、我々の作品には全てふたつ以上の意味が含まれている。一部分だけしゃぶるのではなく、余さず味わい尽くしてもらいたいな。



☷01. ILLI口 (Mouth O' Madness)

─さて、『癲』で初披露となる4つの新曲について伺います。まず先行発表された『ILLI口』ですが、この曲ではBPMの値はそのままに、1拍を3連で分割し、そのクオンタイズの2の倍数にキック・スネアを配置することで突然BPMが変わったかのように聴かせるトリックが使われていますね。つまり、DAW画面上では2小節しか進行していないのに、実質的には異なるBPMが3小節ぶん進行しているように聴こえるわけです。同様のトリックは『病鍋』の後半部でも使用されていますが……

 待て、『病鍋』のほうは拍の分割が違う。『ILLI口』は確かに1拍3連をさらに2で割ることで別のビートのように聴かせているが、『病鍋』は8部音符3つをワルツで取っている。つまりDAW画面上3小節ぶんの進行で別のBPMの3/4ワルツ8小節分であるかのように聴かせている、ということだ。

─失礼しました。このように1曲の中に複数の拍の分割が仕込まれているのは、明らかに現行メインストリームのヒップホップにおける単調な3連ビートに対する異議申し立てのように思われるのですが……

 もちろんその通りだ。なぜ皆あんな低能な3連ビートに我慢できるのか、全く理解できない。俺はそもそも「一つのことに特化した作品」なんか創る気は無いね。全く異なるように思える複数の要素を混ぜて、喰わされた後ではそのマリアージュが今まで存在しなかったこと自体が思い出せなくなるような作品。それこそが俺の本領だ。おそらく今回すべての楽曲に一貫しているのじゃないかな。『ILLI口』も『病鍋』も『急病死』も。

─リリックについてはもはや説明の要も無いというか、これぞアルバム1曲目、という切れ味ですね。

 一応説明を加えるなら、最後の「これはお前たちが無視してきた詩人たちの唄/そしてお前たちが止めようとしなかった戦争のダンスだ」という一節は、ニジンスキーが1919年に大衆の前で言ったという「これから戦争を踊ります。皆さんが止めようとしなかった戦争、ゆえに皆さん全員に責任がある戦争です」のセリフが元になっている。まあ音声・映像が残っているわけじゃないため、各出典によって文言が違うが。

─『癲』を貫くテーマとして、「戦争」は無視できない要素だと思うのですが……

 取り立てて「いま現在が戦前的だ」と燥ぐことには何の意味もない。「前夜」でない時期など人類史上いっときも無かったんだからな。これは菊地成孔氏がほぼ全部の作品で取り扱っているテーマなので付け加えない。ただ俺から言いうるとすれば、この「使い道の無い否定性」の時代においては、各人がいかにして自らの藝術を美的に昇華するか、その手腕のみが問われているんだ。ジョイスが戦前戦中戦後においても書き続けていたように、俺も創り続ける。それだけのことだ。


☷02. 病鍋 (Oh, Don't Lie! Deckard)

─『病鍋』はこのアルバムで最もファンキーなビートですが、たしか GO FORCEMEN の『COMBO』に触発されて創ったのがこの曲でしたかね。

 ああ。ファンキーなブレイクビーツに歪んだベース、そこに煽りまくりのラップが乗る、明確なテーマだ。『COMBO』は本当に最高だよな。全てのブレイクビーツがああであるべきだと思うよ。illicit tsuboi 氏には是非このアルバムを聴いてもらいたいが、どうすべきかな……これから氏に届くくらい有名になるしかないか。

─フフフ……いきなり謙虚になりましたね。

 間違いなく、この国で一番ヒップホップを深いところで理解しているプロデューサーだからな。『癲』も illicit tsuboi 氏にミックスしてもらいたかったなあ。実は『病鍋』のミックスには満足してないんだよ。もっとビートを暴れ太鼓みたいにすべきだったが、なんか無難なところに納めてしまった気がしてな。

─アルバムを通して聴けばわかりますが、今回はビートよりボーカルトラックに特化したミックスになっていますよね。もしヒップホップの音像をラスト・ポエツ側とパブリック・エナミー側のふたつに大別するとすれば、『癲』は明らかに前者です。

 マスタリングが終わって、「ああ、俺は今回ビートミュージックを創ったわけじゃないんだな」と思ったよ。別にそれで良いんだ。『ILLISHⅡ』のときはあまりにもボーカルトラックが奥に行きすぎて、歯痒い思いをしたからな。とりあえず今回のアルバムで俺のリリシズムは十分に伝わると思うが、次回はもっとビートミュージック寄りのミックスにしたい。目標が多く在るのは良いことだ。


☷08. 癲帝 (HIV)
─アルバム後半の『癲帝』ですが……これはもう、リリシズムの塊のような曲ですね。正直なところ、私は SAYSING_BYOUING の広報担当としてではなく、ただのヒップホップヘッズのひとりとしてこの曲に出会いたかったと思っています。

 面白いな、俺は俺の記名性を消すことを身上としてヒップホップをやっているのに、そんな感想が出てくるのは。もちろんこのリリックの「朕」とは俺のことではない。俺を触媒として語らせている「あらゆる病者の長」の言うことだ。

─トラックに関しては、ビートが変わりすぎるくらい変わりますね。定番ブレイクビーツから四つ打ちからヘヴィメタルまで……

 トラックのコンセプトは幾層かに分かれている。まずイントロのギターのアルペジオ、あれはいつか使いたいなと思っていたんだが、フランク・オーシャンの『Pyramids』のシンセとキッスの『I Was Made For Lovin’ You』のベースを組み合わせることを思いつき、そこからEmのキーが設定された。……説明すべきかな、『Pyramids』のシンセと『I Was Made For Lovin’ You』のサビメロのフレーズがほぼ全く同じであること、さらにフランク・オーシャンと『I Was Made For Lovin’ You』の作曲者が同様にゲイであることについて。

─だからサブタイトルが(HIV)なんですね。

 “Hard Ill Verse” の頭文字でもあるがな。もちろんエイズはゲイコミュニティだけの宿痾ではないが、やはり20世紀最大の病気を数え上げれば必ずエイズは入ってくるだろう。この曲のリリックは70-80年代ゲイコミュニティの犠牲者に捧げられて……いやそれだけじゃないな、もっと大きな、20世紀の……ああ、まあいい、話しすぎると良くないんだこういうのは。

─言葉に詰まっておられるようなので、助け舟を出しますか。サンプリングされている声ネタについて伺いますが。

 ああ、あれはデレク・ジャーマン『ブルー』のイタリア語版吹替から抜いている。なぜイタリア語版かというと、YouTubeにあったし言葉の響きが良かったからだ。あれが無かったら『Pyramids』の存在感だけが悪目立ちしていたかもしれないな。声にかぶさっているゾゾーッという低音の効果により、良い具合の不協和をもたらしてくれた。


☷10. あした病気になあれ (SAYSING_BYOUING)

─アルバム最後を飾る『あした病気になあれ』も、同様に20世紀の死者たちに捧げられているように思えますが。

 時代に限定された話でもないんだけどな。これはもっと人類史を貫く生と性の……要するに『フィネガンズ・ウェイク』の……

─ああ、言っちゃった。私はなんとかその名前を出さずにインタビューを進めようと思っていたのですが。

 これはもうしょうがないだろう。というか聴けば一発でわかるだろう、『癲』がどれだけジョイスの力にあずかった作品かは。この曲の最後の「ラッパの音が、」にしたって、

─1曲目の「止むや」に接続されるつくりになっていますもんね。つまり円環、

 円環じゃない。その言葉を使うのはやめてくれ。円環じゃないんだ。なんのためにこのアルバムの発表日を3月3日に設定したと思ってる。この日付は8=ウロボロスの蛇がまっぷたつに切り裂かれたかたちをしている。頭で尾を噛ませて、それで円環構造ですなんて取り澄ましてるやつらと一緒にされたくないんだ。べつに Dir en grey をディスる気は無いが──というか『UROBOROS』はこのアルバム制作中にずっと聴いていたもののひとつだが──歴史全体をひとつの輪に見立てるって発想自体が最も20世紀的な病なんだよ。弁証法だ。そうじゃなくて、巨大な川の流れのなかでいくつもの闘争があるべきなんだ。それこそが『癲』を貫く「戦争のダンス」であり、同時に、

─川走[せんそう]、ですか。ついにここに帰着しましたね。

 トラックもそういうつくりになっている。『急病死』で試みたポリリズミックループミュージックの最進化版だな。さて、どこまでバラすべきか……

─いま私の手元には、あなたの筆による全曲サンプリングソースのリストがあるので、これを引用しながらリズムの構造解体をすることもできるわけですが……

 いや、ここはジョイスに倣って「沈黙、流浪、狡猾」のままにしておこう。何よりリスナーたちの耳を信じよう。この曲は冒頭の1音目から、リズムと調性の両方が乖離した状態で始まり、そして終わる。これで既に贅言だろう。

─「よばれても・いないのに」からの展開なんて、6年くらい前のカニエ・ウェストを思わせるものがありますが。

 まあ、カニエは5連符なんて理解しないだろうがな。そもそも俺はカニエを高く評価しない。キング・クリムゾンからサンプリングするのが『21世紀チガイ』だなんて、幼稚園のヒップホップきょうしつでようやく花丸がもらえるレベルだ。そしてカニエがああいう感じになってしまった以上、俺のように広義のブラックミュージック以外にもアンテナが立っている人間がヒップホップに陣取っていることは、公平に言って重要なことなんだ。実際、ポーキュパイン・トゥリーをサンプリングしたヒップホップクルーなんて俺らくらいだろう。

─でも、彼らはロックのジャンルで最も良いドラムサウンドを持っているので、ヒップホップで使われるのも当然とは言えるんですよね。

 そう。ちょっと話はズレるが、最近のSWのライブ映像を見てくれるかな……[iPhoneでYouTubeを立ち上げながら]これだ、これ。ステージ上でのSWの立ち居振る舞いを見てくれ。明らかに以前より「踊る」ようになってるだろう。ほとんどDC/PRGじゃないか。もっとも、SWの場合は即興の余地がほとんど無い完全編曲モノだろうが。

─先ほど「ビートミュージックを創ったわけではない」とおっしゃっていましたが、やはり「踊り」はあなたにとって重要な……

 当たり前だ。重要でないわけがない。ただクラブオリエンテッドな四つ打ちとかトラップとかでない、もっと複層的な「踊り」のリズムを持つ音楽だ。つまりポリリズムだが、その拍の構造を理解していなくても構わない、フロウに身を任せること自体が闘争であるかのような……

─「戦争のダンス」、ですね。結局ここに帰ってきてしまいました。

 そういうことだ。もう言うべきことは全て言ったろう。あとは思う存分『癲』を味わい尽くしてくれたまえ。

─えっ、いやあの、もうまとめに入るおつもりですか。最後に一問一答を用意していたのですが。

 じゃあ、それ済ませてとりあえず終わりだ。


☷そして『癲』さえも超えて


─今回の全曲の中で、最もよく書けたパンチラインを挙げるなら?

「これがペンです」か「厭離浄土欣求穢土」だろうな。もし自分で主催イベントをやるなら、どちらかをイベント名にするつもりだ。

─これからのライブ活動などは?

 まず、CDが出来上がってそれを福岡のクラブやレコード屋にばら撒くことから始めるべきだろう。その過程で喰いついてくれる人がいれば、流れでライブも決まるさ。そのためにはDJを見つけないとな。実は、『急病死』と『病鍋』にスクラッチを入れることができなかったのは大きな心残りなんだ。あの2曲はDJの参加でいくらでも化ける余地がある。

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[詩集版(CDのみ未到着)]

─次回作の展望は?

 既にある。次回は2部作にするつもりだ。5曲と5曲で分けて、前者はサンプリングなしの完全新規作曲のみ、後者は今回と同じようにサンプリングのみでやる。前者はダウンロード販売なりサブスクリプションなりで発表し、後者はミックステープとして無料公開する。次回は金をかけるし稼ぐつもりだ。タイトルは『Pandemic Plague Prankster』。“Pandemic” は「パンデマイク」と読んでもらう。ひとまず今回 This is HIPHOP なサンプリングオリエンテッドでいけることを証明したわけだから、次はじっくり時間をかけて仕込むぞ。ひとまず、新規作曲の1曲目が出来たらシングルとして発表するつもりだ。タイトルもリズムの構成も編曲をお願いしたいミュージシャンも既に決まってるんだが、流石に秘密にしておこう。

─そこまで決まっているのであれば、広報担当としても心配はなさそうです。

 実際、今回ここまでの作品が出来てしまった以上、俺は日本のヒップホップシーンの重要人物の1人に数えられざるを得ないだろう。フリースタイルバトルみたいな右顧左眄の社交界でイキってる子どもたちではなく、まったく無名の人間がここまでのシットを叩きつけてしまったんだからな。
 もちろん俺は詩人でもあるわけだから、『癲』の影響力はヒップホップ界隈のみに留まらないだろう。三流トラックメイカーにつくってもらった三連のビートに乗って「できちゃったー」と燥いでた三歳児以下の低能どもをヘコますのと同時に、たとえば最果タヒや少年アヤのような、感性の発達が90年代で止まってしまった、勉強不足で体力不足の、アイドルとしても文人としても中途半端なイタい子ちゃんたちを失業させてやることもまた、俺の役目だ。


─どんどんラストワードに近づいてきましたが。

 事実、西暦2019年現在のこの島国について言えるのは、「もうこの国で何を言っても無駄だ」ってことだ。だが、これを何か雑魚リベラルの嘆き芸と一緒にしてもらっては困る。奴らと違うのは、俺はここから新たな闘争を始められることだ。言うなれば、俺は日本列島を「日本人」の手から解放するために働く。それが俺の詩的闘争であり、ポエティック・ジャスティスだ。俺は未だ来たらぬ辞書のため、未知の使い途見つけるべく働く。 Behold the verve of barbarian, you punk!!!



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[西暦2019年3月1日20時26分 撮影:Irish Pub THE HAKATA HARP店員氏]


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【予告】SAYSING_BYOUING『癲』



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仕様:詩集30P・A5版 本文白黒 カバーフルカラー(羊皮紙)
   CD2枚(本編CD-DA/トラック集CD-R)
価格:無料
01. ILLI口 (Mouth O' Madness)
02. 病鍋 (Oh, Don't Lie! Deckard)
03. 手前どもの手先 (Versus Verses)
04. 臀部開拓史 (Gloryassholestoopid)
05. 破瓜参り (Tinseltown Graveyard)
06. 息づかいの礼拝式 (Liturgie vom Hauch)
07. 急病死 (Sick-Stee 9)
08. 癲帝 (HIV)
09. 巴塔耶 (bataILLe)
10. あした病気になあれ (SAYSING_BYOUING)

西暦2019年3月3日リリース